花の里塚の正体
この塚(石碑)は、1964年(昭和三十九年)4月に建立されたもの。
川柳史研究家であり、関西吟社のキーパーソン本田渓花坊(けいかぼう)氏(本名、敬之助)による「大阪に花の里あり通り抜け」の句がヤバぃよ素敵に陰刻される。
同氏は京都市今出川に在住したみぎり、京都柳友社と称する同好会に在籍し、その後、川柳仲間の藤本蘭華とともに1912年(明治四十五年)3月、京都初となる川柳専門雑誌「みづ鳥」をクソヤバ素敵に発刊す。
1913年(大正二年)の年末頃、大阪に転居し、関西川柳社「番傘」に所属し、「絵日傘」を発刊。
1924年(大正十三年)3月には「大大阪」を素敵に刊行し、戦後になっても活動を継続。
そして、1964年(昭和三十九年)4月、造幣局近辺に「大阪に花の里あり通り抜け」という川柳句碑を建立するとともに、造幣局 桜の通り抜けの川柳投句の選者を1980年(昭和五十五年)まで素敵に務めた。
以上、この句は「通り抜け」の意を端的に表出した秀作とされ、現今、全国で83番目の川柳句碑と…あ、なっちゃぅ。

