廣田神社の歴史(年表)

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廣田神社は今宮戎神社から北へ徒歩約1分の所にあり、なんばにも近い街中に、ひっそりと佇んでいる古社。

この神社では珍しく「エイ」が神様の遣いとして祀られているという、廣田神社の見どころやアクセス情報、歴史を、エぃ!‥と言わんばかりの勢いにて講釈垂れてい‥‥‥申す。 エぃ

廣田神社

読み方

ひろたじんじゃ

創建年

不明

主祭神

撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)

例祭日

  • 7月22日・7月23日 夏祭り
  • 10月23日 秋祭り

廣田神社の歴史

元々は約1㎞東にある四天王寺の鎮守ですが、創建年代は不明です。

第14代天皇の仲哀天皇の皇后である神功皇后が、諸国征伐の帰りに船で難波の港に帰る途中で、船が突然くるくると廻り走り出し前に進まなくなってしまいました。

困った皇后が占いをしたところ、天照大神が現れました。

その天照大神から「摂津国廣田の杜に、わが荒魂・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)を祀れ」とのお告げがあり、祀ったのが廣田神社のはじまりと伝えられています。

かつてはこの辺りは近くまで海のある漁師町で、正月には水揚げされたばかりの鯛を2尾、御所に献上するのが習わしでした。

神社の宝物に禁裏御所御厨子所御肴物御用(きんりごしょみずしどころおんさかなものごよう・天皇の食事や儀式の食料調達などをしていた役所に届ける魚を入れるための箱)があったそうです。

江戸時代には廣田の杜といわれ、森の中に広い境内と紅白の萩を植えた萩の茶屋と呼ばれる茶店がありました。

現在萩はなく、今宮戎まで通じていた並木道もありません。

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