【住吉大社の御祭神「住吉大神」と神祇一覧】ご利益と霊験譚を…..アヒぃ、知る?

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住吉大社には沢山の神様がお祀りされていますが、それらの神様の中でも一番重要とされ、崇められているのが「住吉大神」です。

今回は、「住吉大神」について、どのような神様なのか、どんなご利益があるかなどを詳しく解説します。

これからお参りする方も、もう一度訪れたい方も、参拝がより有効になること間違いなし!是非行かれる前にご一読ください。

住吉大社の本宮(本殿)に祀られている御祭神

  • 第一本宮:底筒男命(そこつつのおのみこと)
  • 第二本宮:中筒男命(なかつつのおのみこと)
  • 第三本宮:表筒男命(うわつつのおのみこと)
  • 第四本宮:神功皇后(じんぐうこうごう)(息長足姫命(おきながたらしひめのみこと))

住吉大社の本宮(本殿)について詳しくは、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています!
住吉大社「本宮(本殿)」【国宝】




住吉大社の御祭神「住吉三神」とは?

「住吉大神」とは、『日本書紀』によると、住吉大社の第一本宮から第三本宮に鎮座されておられる、

  • 底筒男命(そこつつのおのみこと)
  • 中筒男命(なかつつのおのみこと)
  • 表筒男命(うわつつのおのみこと)

以上の三神の総称と言われています。

しかし、三神は別名「住吉三神」と呼ばれることもあり、「住吉大神」となると、ともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがあります。

ちなみに、『古事記』では、三神の表記が変わり、

  • 底筒之男神(そこつつのおのかみ)
  • 中筒之男神(なかつつのおのかみ)
  • 上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記されています。

ここで、住吉大神をもっと詳しく掘り下げてみましょう。

住吉大神を語るには、住吉三神と神功皇后は別に説明する必要があります。

まずは、三神から見て見ましょう。

  • 底筒男命(そこつつのおのみこと)
  • 中筒男命(なかつつのおのみこと)
  • 表筒男命(うわつつのおのみこと)

と呼ばれる三神の誕生は『古事記』に明記があります。

イザナギノミコトの「禊」

アマテラスやスサノオなどの多くの神の父神であるイザナギノミコトは、死んだ妻を追って死者の国である黄泉の国に行きました。

結果的に、妻を取り戻すことは出来ずに戻って来たあと、死の世界に触れたことで穢(けが)れた身を清めるために、海に入り禊(みそぎ)をすることにしました。

「穢れ」が憑いている人や物は災いを引き寄せると考えられていたためです。

場所は、九州の日向、現在の宮崎県北部に位置する、橘の小門の阿波岐原(たちばなのおどのあきはら)です。

この禊では、数多くの神々が生まれています。

神々の誕生

まず、禊の際に身につけていたもの(杖・帯・袋・衣服・袴・冠・腕輪)を投げ捨てたことで、十二の神様がお生まれになりました。

そして、禊を実際に行う時に、イザナギノミコトは「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが弱い。」と言って、初めて中の瀬に潜ってすすぎました。

ここでも多くの神様がお生まれになっています。

最初に生まれたのが、黄泉の国にいた時の穢れから生まれた禍(わざわい)の神様、八十禍津日(やそまがつひ)の神と、次に大禍津日(おおまがつひ)の神。

次に生まれたのは、黄泉の国で取り憑いた禍(わざわい)を取り除くときに生まれた神様である、

  • 神直毘(かむなおび)の神
  • 大直毘(おおなおび)の神
  • 伊豆能売(いづのめ)の神です

「住吉三神」の誕生

そして、住吉三神が生まれたのが、このシーンです。

あまりにも強い穢れを祓う為に海の底・中・上の方と三か所に及んで禊をしたため、それぞれの場所で神様が誕生しています。

水の底で身をすすぐ時に生まれたのが、

  • 底津綿津見(そこつわたつみ)の神と
  • 底筒男命(そこつつのおのみこと)

中にすすぐ時に生まれた神の名は、

  • 中津綿津見(なかつわたつみ)の神と
  • 中筒男命(なかつつのおのみこと)

最後に水の上にすすぐ時に生まれた神の名は、

  • 上津綿津見(うわわたつみ)の神と
  • 表筒男命(うわつつのおのみこと)です。

お気づきの通り、住吉三神は、海の神様である綿津見の神(綿津見三神)と交互に生まれています。

ちなみに、住吉三神の名にどれも入っている「筒」は「星」のことを指します。

底中上の三筒男は、オリオン座の中央にある3つの星カラスキ星を指し、当時星は航海の目標としたところから、航海をつかさどる神となったと考えられています。




住吉大社の御祭神「神功皇后」

第四本宮のご祭神である神功皇后は、日本の第14代天皇・仲哀天皇の妻、つまり皇后です。

幼い頃より聡明で容貌麗しい方であったと日本書紀に伝えられ、女帝とも言われています。

そんな神功皇后には、不思議な力がありました。それは、神託です

神様の意見をお伺いすることが出来る、お告げを聞ける力です。

「日本書紀」によると、九州の熊襲(くまそ)と呼ばれる種族が反乱を起こしたという報告が入り、天皇は急きょ、そこから熊襲征伐のために船で出発し、穴門(あなと)、現在の山口県西部の長門(ながと)にて皇后と合流しました。

2人は、橿日宮(かしひのみや)と呼ばれる、現在の福岡市香椎(かしい)宮に到着します。

すると、皇后に神が宿り、「西方に金銀財宝の豊かの国がある。それを服属させて与えよ」つまり、天皇に対して熊襲よりも朝鮮半島の新羅(しらぎ)を優先して攻めるように神託しました。

そのお告げをした神様が「天神の意思を伝える住吉の三前大神(住吉三神)である」と名乗ったそうです。

しかし、天皇はこれを疑い、託宣に従うことをしなかったため、神の怒りにふれて崩御(ほうぎょ)してしまいます。

その後、大祓を行ったのち、神功皇后が再び神意を問うと「この国は皇后の御腹に宿る御子が治めるべし」という託宣がありました。

神託により、仲哀天皇に代わって三韓の平定に向かった神功皇后はこの時、応神天皇を身籠っておられましたが、陣痛を抑える為に鎮懐石(ちんかいいし)を腰帯に巻き付けられての出陣をしたそうです。※このため応神天皇は胎中天皇と呼ばれます。

身重の身体で出陣した戦でしたが、神功皇后は勝利し、帰還します。

そしてその後、無事に出産しました。

ちなみに、普通は、10ヶ月で出産となりますが、応神天皇は15ヶ月での出産でした。このことは、神宮皇后が持っている、神の力を示していて、生まれてくる子どもも、神の子であることを指しています。

住吉大社の御祭神のご利益(ご神徳)

では、住吉大社の御祭神にはどんなご利益があるか見て見ましょう。

ご利益を確認して、何をお願いするのかを決めてから参拝すれば、本宮(本殿)を前に慌てることもありません。

それぞれの本宮に沿ったご利益をご紹介しつつ、具体的なご利益(ご神徳)を挙げてみます。

第一・第二・第三本宮:住吉三神のご利益(ご神徳)

イザナギノミコトが身を清めるために行った禊から御生まれになった住吉三神は、「海の神」、「おはらいの神」として特に崇敬されています。

祓(はらえ)・厄除け・災難除け

住吉大神は、黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命が、罪穢れを祓うために入水した海中より出現されたことから始まるので、神道で最も大切とされる「祓(はらえ)」を司る神が御祭神となっています。

そのため、住吉大社の夏祭りである「住吉祭」が「おはらい」と呼ばれ、大阪のみならず日本中をお祓いする意義があるほど、古くより「祓いの神」として篤く信仰されてきました。

境内には「人形(ひとがた)」を使った大祓もできるので、お勧めです。




海上・航海安全

第一から第四まで、本宮にはそれぞれ違った神様がお祀りされています。

そのうち、第一、第二、第三の神様は、海から生まれ、航海の目印となる星の神様でもある住吉三神なので、航海の安全をご祈願できます。

海の神様が崇められた理由として、住吉三神は大坂の住江(住之江)の豪族の氏神だったことが挙げられます。

当時、朝鮮・中国との貿易が盛んになると、この地域は貿易港となって栄え、大和朝廷にとりたてられました。

日本書記では、この地域の豪族の津守氏は朝鮮の百済・高句麗や中国の唐にまで派遣されています。

また、住吉大社の宮司の津守氏は、出船の儀式も行いました。

船舶の行き来が盛んだった住吉からは、遣唐使・遣隋使の船も出ることになっていたのです。

一方で、その頃の人々にとっての航海は、命も伴う危険な行為でした。

厳しい航海の安全が祈願できる住吉大社は、自然と人々の崇高される存在として崇められてきたのです。

ちなみに、同じように、海の神・航海の神として信仰されている神としては、宗像三神も有名です。

宗像大社厳島神社にお祀りされています。

農耕・産業守護

大坂の住江(住之江)の豪族の氏神だった住吉三神は、農耕のご利益や産業のご利益御があります。

稲の作り方は住吉大社が教えたとも言われています。

相撲

住吉大神は神様の相撲で一番活躍される、相撲が大変お強い神様とされています。

そのため、相撲の神様と言われています。

古くは、住吉大社でも「相撲会(すもうえ)」と呼ばれる神事が行われ、大変賑わいました。

現在では、10月に「宝之市神事」と呼ばれる、近畿高等学校相撲大会、大阪府中学招待相撲大会が行われます。

また、大相撲の横綱が行う、横綱奉納土俵入りは毎年大阪場所の前に行われます。

最新のスケジュールのご確認・お問い合わせ先

住吉大社
電話番号:06-6672-0753
ホームページ:http://www.sumiyoshitaisha.net/access/

日本相撲協会
電話番号:03-3623-5111
ホームページ:http://www.sumo.or.jp/

第四本宮:神功皇后のご利益(ご神徳)

第4本宮の神様は、神功皇后です。神功皇后の本名が息長足姫命です。

古墳時代の皇族(王族)といわれている神功皇后は、神の神託を受けられる存在でした。

神功皇后へお告げをされた神様の中に第一本宮から第三本宮にお祀りされている三神がいます。

そのような縁から一緒にお祀りされているのです。

神様のお告げを受けられる神功皇后には、安産、子育て、守護学業、祈願厄除け、病魔退散、家内安全、開運招福など様々なご利益があると言われています。

安産

神功皇后は戦に出兵したにもかかわらず、無事に子供が誕生したことから、安産の神様としてのご利益が期待できます。

勝負運向上

神功皇后は古くから、源氏や平家など全国の武家から「武運の神(弓矢八幡)」として崇められています。

神からのお告げを受けて、多くの戦に勝った神功皇后ならではのご利益です。

住吉大社のその他のご利益

住吉大神には意外なご利益もあります。

和歌

歴史ある神社で、美しい社殿を持つ住吉大社は、古くから歌人によって多くの歌が詠まれた場所でした。

万葉集や古今和歌集などの歌集に数多く登場し、特に平安時代からは、歌道を志す人が参拝するなど、和歌の神様としても知られています。境内には、沢山の歌碑や句碑が設置されています。

特に有名なのが、古今和歌集に掲載されている、「我見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いく代へぬらむ」という歌です。

この歌は、神さまに奉納して御心をなごませる神事芸能である、神楽の曲として現代でも使われています。

住吉大社にある川端康成文学碑




住吉大神(住吉三神)が祀られる主な神社

住吉三神を祀る神社は住吉神社などという社名で、日本全国に約600社あります。

住吉大社と共に「日本三大住吉」と呼ばれる神社や、神功皇后が勝利した三韓征伐に由来する神社などをご紹介します。

長門国一の宮住吉神社(ながとこくいちのみやすみよしじんじゃ)(山口県下関市)

「日本三大住吉」の1つ。本宮は第一から第五が連なり、それぞれ別の神様が祀られています。

には住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)、第二宮には応神天皇、第三宮には武内宿禰命、第四宮には神功皇后、第五宮には建御名方命が祀られています。

大阪の住吉大社が住吉三神の和魂を祀るのに対し、こちらは荒魂を祀るとされています。

三韓征伐の帰還後、大神が「我が荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀れ」と神託したことに由来するとも言われています。

和魂・荒魂とは

和魂(にきたま・にきみたま)・荒魂(あらたま・あらみたま)とは、神道における考え方の1つで、神の霊魂が2つの側面を持っていることを表します。

和魂は神の平和的な優しい側面に対し、荒魂は神の荒々しい側面を表し、時に災いをも引き起こす魂を指します。

筑前国一之宮住吉神社(ちくぜんこくいちのみやすみよしじんじゃ)(福岡県福岡市博多区)

「日本三大住吉」の1つです。イザナギノミコが禊をして、住吉三神が生まれた阿波岐原が近いため、これにより全ての住吉神社の中で最も早く創建された神社であると推定されています。

古書にも「住吉本社」や「日本第一住吉宮」などと記されています。

ご祭神は住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)です。

勅命社風浪宮(ちょくめいしゃふうろうぐう)(福岡県大川市)

風浪宮(ふうろうぐう)は、三大住吉以外の三韓征伐に由来する神社です。

神功皇后が三韓征伐から帰る途中、192年に筑後国葦原ノ津(大川榎津)に寄った時、皇后の船のあたりに白鷺が現われ、東北の方角に飛び去りました。

皇后はその白鷺こそが、我が勝運の道を開いてくれた少童命(ワダツミノミコト)の御化身だと言い、その白鷺の止まったところを鷺見(後の酒見)の里を聖地とし、少童命を祀りました。

1800年余りの由緒を持つ神社です。地元では「おふろうさん」の名で親しまれていて、ご祭神は、少童命三座(表津少童命(ソコツワタツミノミコト)、中津少童命(ナカツワタツミノミコト)、底津少童命(ソコツナカツミノミコト))、息長垂姫命(神功皇后)、住吉三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)、高良玉垂命です。

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