大阪・住吉大社「石舞台」【重要文化財】

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大阪・住吉大社「石舞台」【重要文化財】

創建年

  • 1607年(慶長12年)
大きさ

  • 桁橋:幅約11m、長さ約12m
  • 石舞台:1辺約6mの正方形(面積約36㎡)、高さ約0.5m
    ※畳20畳ほどの広さ
重要文化財指定年月日

  • 1974年(昭和49年)5月21日
寄進者(造営者)

  • 豊臣秀頼
住吉大社・石舞台の読み方

  • 住吉大社・石舞台は「いしぶたい」と読みます。

住吉大社・石舞台の歴史・由来

戦国時代から安土桃山時代まで活躍した武将・豊臣秀吉は、住吉大社への崇敬を厚く抱いていた人物です。

母親である大政所(おおまんどころ)の延命祈願も、この地にて祈りを捧げていたほどです。

そのような崇敬の思いは、妻である淀殿(よどどの)や子である豊臣秀頼にも着実に受け継がれていました。

淀殿は秀頼の成長を祈願する為に、反橋の架け替えを行い、秀頼は子孫繁栄を願い、本殿や摂末社、境内各所の造営に力を注いだのです。

その秀頼の尽力の1つに、「石舞台」があります。

秀頼が莫大な資金を費やして奉納した石舞台は、住吉大社に対する豊臣家の厚い崇敬の証です。

石舞台の中央部の石がひび割れした時の修理費用は、豪邸が1軒建つほどの高価な石が使われていると言われています。

日本三舞台

この住吉大社の石舞台は「日本三舞台」といわれています。

「日本三舞台とは」
  • 住吉大社(大阪)の石舞台
  • 四天王寺(大阪)の石舞台
  • 厳島神社(広島)の高舞台

厳島神社(広島)の高舞台

現在ではコンサートなどにも利用される、厳島神社の高舞台は、本殿・祓殿の殿舎の延長上にあり、海上に造営されている唯一無二の舞台です。

舞台と楽屋が現在の形に改築・建立されたのが1680年(延宝8年)だと伝わっていて、広島第4代目藩主・浅野綱長が改築・建立したといわれています。

また、平清盛により「大阪・四天王寺」の舞楽の演目の一部が厳島神社へ移されており、現在でもこの舞台で舞われています。

1991年(平成3年)には、台風19号の影響によって被害を受け、1994年(平成6年)に再建されています。

厳島神社の高舞台については、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています!

宮島・厳島神社「高舞台」【国宝】

四天王寺(大阪)の石舞台

四天王寺は聖徳太子が建立した寺の1つで、奈良県にある飛鳥寺(法興寺)と並んで、日本における本格的な仏教寺院として最古の寺です。

本堂手前の亀の池の中央にある石舞台では、聖徳太子の命日の法要である「聖霊会」の日に雅楽が披露されます。

四天王寺の雅楽は、「三方楽所(さんぽうがくそ)」と呼ばれる、江戸時代初期に制度化された雅楽の伝承組織によって伝承されており、「天王寺楽所」という名で雅楽最古の様式が披露されます。

四天王寺の石舞台については、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています!

大阪・四天王寺「石舞台」【重要文化財】


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石舞台の見どころ

石舞台の見どころをみてみましょう。

住吉大社石舞台の特徴

住吉大社の石舞台の特徴は高欄(こうらん※てすりのこと)の柱にある装飾です。

通常は擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれ、伝統的な建築物、橋、神社・寺院の階段や廻縁の高欄の親柱の頭部にあるネギ坊主に似ている装飾です。

一方で、住吉大社の高欄はネギ坊主ではなく、逆蓮頭(ぎゃくれんとう)になっています。

逆蓮頭とは、ハスの花をさかさにした形の木製の飾りで、禅宗様式の装飾だそうです。

高欄は、舞楽の公演以外は楽所に納められています。

石舞台自体の大きさは小ぶりで、敷舞台と高欄の間がなく、敷舞台のすぐ外側を高欄が囲んでいる形になっています。

数多くの災害に見舞われたてきた住吉大社の中でも、石舞台・東西楽舎・南門は数少ない慶長(1596年から1615年)頃の再建建築であり、重要文化財に指定されています。

住吉大社の石舞台で披露される雅楽

高欄は通常は片付けられていますが、石舞台が使用される際にはお目見えします。

石舞台で舞が披露されるのは、主に以下の神事の時です。

  • 卯之葉神事(5月最初の卯の日)

毎年5月の最初の卯の日に行われる「卯之葉神事(うのはしんじ)」は、住吉大社の創立記念日を祝う祭典です。

卯の花の名所ともなっている住吉大社で、冠に卯の花を飾った舞人の舞いが披露されます。

新緑に包まれた石舞台で披露される舞は、秋の夜長の「観月祭」の舞に比べると華やかで清々しく、夜間に奉納される「観月祭」の舞とはまた違った趣があります。

江戸時代には、3月8日に行われた一切経会(大乗会)で石舞台が使用されたようです。

大乗会では、石舞台に神輿を運び置いて舞楽を奉納しました。

石舞台の南側には左右の楽舎があり、古い装束や舞楽面が多数保存されているそうです。

昔から、四天王寺より天王寺楽所(てんのうじがくそ)が出仕してきた住吉大社ですが、現在もその流れをくむ「雅亮会」が奉納舞楽を行っています。

また、雅楽ではないですが、6月に行われる御田植神事(おたうえしんじ)では、石舞台で全員の修祓、豊穣の祭典が行われます。

卯の花


住吉大社の石舞台で披露される雅楽の歴史

画像引用元:住吉大社

住吉大社の雅楽・舞楽の歴史は、執り行われてきた形跡はあるものの史料は乏しいものです。

しかしながら、物語上とはいえ、「源氏物語」には、御神楽などが奉納されていた様子が記されています。

また、時代は進みますが、宝永3年(1706)年に、住吉大社の「三方楽所(さんぽうがくそ)」組織である、「住吉楽人」への指導を「天王寺楽人」の数人が行ったという記事が残されています。

このことから見ると、住吉大社における舞楽の伝統は一度断絶の状況でしたが、そのことを嘆いたかつての神主が天王寺楽人の指南を仰いだものと考えられます。

また、宝永3年(1706)年に指導を仰いだ理由として考えられるのが、三年後の宝永6年(1709)年に執行された住吉大社正遷宮の準備の一環ではないかと推測されています。

いずれにしても、石舞台は今日まで住吉大社に残り、多くの祭典で活用され、見事な舞を見ることが出来るのは、古人の尽力の賜物でしょう。

石舞台の場所

鳥居をくぐって反橋をわたり、第三、第四本宮の間を通り、第二本宮の右手後方にある門を抜けると、池に浮かぶ石舞台が見えてきます。

画像引用元:住吉大社

※大きな境内図は、コチラからダウンロードできます!

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