住吉大社・末社「大歳社」【初辰まいり巡拝社】
読み方
- おおとししゃ
※大歳神社とも呼ばれています。
創建年
- 不明
主祭神
- 大歳神(おおとしのかみ)
例祭
- 10月9日
※おいとしぼし社は4月15日と10月15日
拝観時間(開門・閉門時間)
- 6時~17時
【限定!】住吉大社・大歳社の御朱印
大歳社の御朱印は、毎月の初辰の日(初辰まいりの日)と、毎年の例祭の日(10月9日)に授与されています。
- 授与日:初辰の日と10月9日
- 授与時間:
初辰の日 9時~16時
例祭日 9時~17時 - 授与場所:本宮前御朱印受付(御垣外側、祈祷殿窓口)
- 初穂料(値段):500円
※初辰の日の御朱印は、和紙に書いたもの(書置き)となっています。
住吉大社・大歳社の歴史(由来)と御祭神・ご利益について
「大歳さん」と呼ばれ親しまれる大歳社の由緒は、実はあまりわかっていませんが、大変長い歴史のある神社とされています。
元々は五穀収穫の神として信仰されていましたが、参拝する人々の中で、次第に集金のご利益がある神として広く知られるようになっていきました。
大歳社の御祭神「大歳神」とは?
大歳神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)との間に生まれた神です。
この二神は、大歳神と、「ウカノミタマ神」を生みました。
ウカノミタマというのは、漢字表記や読み方に多少の違いはあるものの、「倉稲魂命(宇迦魂命)」、つまり、初辰参りで1番目と2番目に参拝する、種貸社と楠珺社の御祭神で、いわゆる「お稲荷さん」です。
さて、大歳神の「歳」というのは、祈年祭(としごいのまつり:旧暦2月に1年の五穀豊穣を祈願する祭)の「年」で、「豊年」を司る霊力を象徴しています。
大歳神は「年神さま」などとも呼ばれ、「正月に祀る(招き入れる)」とする風習が残る地域もあり、神々が住まう世界から毎年やってきては豊作や福をもたらしてくれる穀物の守護神・家庭の守護神として、各地で信仰されています。
一般的には、農業を始めとする諸産業の繁栄や、家内安全、開運などのご利益があると言われています。
ただし、住吉大社の大歳社では、大歳神の「豊年・豊作(収穫)の神」という側面が次第に変化し、収穫は収穫でもお金の収穫、すなわち「集金」の神として信仰されるようになっています。
これは、神社側が言い出したわけではなく、大歳社を崇敬する大阪の人々によって、長い年月をかけて広まった信仰と考えられています。
初辰まいりは、種貸社で資本を受け取り、楠珺社(はったつさん)で商売繁盛祈願を行った後、大歳社で集金が円滑に進むように祈るという、非常に理にかなった流れになっているのです。
なお、毎月の初辰まいりの日には、大歳社にて御祈祷が受けられます。
住吉大社・大歳社「おいとしぼし社」の「おもかる石」
大歳社の境内にある「おいとしぼし社」の「おもかる石」は、「おぼっさん」の通称で親しまれています。
願い事か叶うかどうかを占う霊石として知られ、土日や初辰まいりの日には、行列ができるほど混雑する人気スポットです。
おもかる石で願い事が叶うかどうかを占う方法
おもかる石がある場所には、以下のような順番で願い事の行方を占うように案内が出ています。
1.おもかる石の前で「二拝二拍手一拝」の拝礼をする
2.石を持ち上げて重さを確認して石を下す
3.石に手を添えて願掛けをした上で、もう一度石を持ち上げる
4.最後にもう一度「二拝二拍手一拝」をして退出する
※おもかる石は3つあります。願掛けする石は1つだけでも、3つすべてでも構いません。
※持ち上げた石を下す際、指が下敷きにならないよう、お気を付けください。
結果の見極め方「軽く感じれば願いが叶う!」
2回目に持ち上げた時、1回目よりも軽く感じれば、その願いは叶うと言われています。
一方、重いと感じれば、「好転のため努力せよ」というお告げであると考えらえています。
なお、以前は、「持ち上がれば可」「持ち上がらなければ不可」とされていたようで、その旨が記された案内板が、今も残っています。
混雑時は行列ができます。
あなたの後ろにも待っている人がいますので、軽く感じないからと言って何度も何度も試すのはやめましょう・・!
【豆知識】全国の有名なおもかる石
石を持ち上げ、重いと感じるか軽いと感じるかである事柄を占う「おもかる石(重軽石)」という名前が付いた願掛けスポットは、なにも大歳社だけにあるわけではありません。
例えば、京都の伏見稲荷大社や、高野山の奥の院にも、有名なおもかる石があります。
詳しくは、当サイトの以下のページ↓で詳しくご紹介していますので、ぜひご覧ください!
また、大阪の四天王寺の地蔵堂には、おもかる石ならぬ「おもかる地蔵」が存在します。
ところで・・「おいとしぼし社」とは?
「社」というくらいなので、おいとしぼし社にも、もちろん、神を祀るお社(本殿)があります。
祀られている神は、俗に、「龍神さん」または「金龍さん」と呼ばれ、古くから親しまれていますが、御祭神が誰なのか、正確にはわかりません。
縁起についても、「落下した隕石を願い事の守護神として祀ったことに由来する」「住吉大神の分霊を祀った」「後村上天皇の姫君を祀った」など、諸説あります。
元々は、イチョウの巨木のもとに祠を設けて祀っていたとも言われています。
「おいとしぼし」という珍しい社名も、意味は分かりませんが、「お愛し星」、あるいは「老年星」などと表記するものと考えられています。
「星」だとすると、上述の「隕石に由来する」という説がしっくりきますが、祭神、創建、社名、すべてが不明なままの、謎に包まれたお社なのです。
ご利益は、心願成就などとされています。
住吉大社・大歳社の境内の見どころ
鳥居
大歳社の鳥居は、石造りの明神鳥居です。
両脇手前に燈籠が建っています。
手水舎
鳥居をくぐってすぐの右側に、手水舎があります。
神社建築には通常用いられない瓦葺屋根の建物で、この点は、大歳社の北側に位置する浅澤社と共通しています。
百度石
手水舎の向かい側(鳥居をくぐって左側)には、「大正八年十二月」と刻まれた百度石があります。
この百度石と社殿前を往復して、社殿前に着く度に願い事を祈願する参拝方法を、百度参りといいます。
休憩所
参道途中の左側には、休憩用のベンチが設置されています。
大歳社の社殿
参道の奥にある、瓦葺屋根の手前に銅板葺の庇が付いたユニークな建物が拝殿で、本殿はその奥に安置されています。
参道から拝殿を望むと、その屋根の向こう側に、本殿の千木がのぞいているのがわかります。
拝殿に入ってしまうと、本殿は社殿の下半分しか見えません。
おいとしぼし社の社殿
おいとしぼし社の社殿は、おもかる石の後ろ側の朱塗りの鳥居の先にあり、石造の基礎の上に立てられています。
傍らには、「平成二十三年四月吉日再建」と記された碑があります。
おもかる石とおいとしぼし社の社殿へ向かう入口は、大歳社の拝殿の向かって右側にあります。
お参り後はお守りを授かるのがおすすめです!
画像引用元:住吉大社
住吉大社の本宮前にある「本社御守授与所」では、大歳社の「大歳守」が授与されています。
集金満足・収穫守護のお守りです。
授与場所は、大歳社ではなく、住吉大社境内の授与所ですので、帰りにぜひ、お立ち寄りください。
なお、大歳社の授与所は初辰の日に開きます。
こちらでは、種貸社、楠珺社、大歳社の縁起物である「稲蓬莱」や、以上の三社の切札を祀るための神額(専用神棚)、大歳社の切札が授与されています。
住吉大社・大歳社の場所
画像引用元:住吉大社
大歳社は、住吉大社の南門を出て数十メートル歩いたところにあります。
細井川という小さな川を挟んで、北に浅澤社、南に大歳社が鎮座しています。
お守り・御朱印は住吉大社境内で授与されています。
※大きな境内図はコチラからダウンロードできます※
【補足】もう1つの大歳社(草津大歳神社)
住吉大社、および末社・大歳社がある大阪市住吉区には、かつて、「草津大歳神社」と呼ばれる神社がありました。
これは『延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)』に記された式内社で、最初は現在の住吉区苅田に鎮座していたものの、明治時代に神社の整理統合が行われる中で、1909年(明治42年・諸説あり)、数百メートル南にある大依羅神社(おおよさみじんじゃ)に合祀されたと伝えられています。
住吉大社関連の史料には、この草津大歳神社が、住吉大社の大歳社であろうと記されたものもあります。
ただし、実際は、住吉大社の隆盛に伴い末社の大歳社も人気を博していく中で、式内社と誤認されたのではないかと考えられています。
苅田福祉会館の敷地内に、上掲の写真にある「草津大歳神社跡」の石碑が建立されています。
大歳社・草津大歳神社跡(苅田福祉会館)・大依羅神社の位置関係
草津大歳神社跡(苅田福祉会館)や大依羅神社は、住吉大社・大歳社の南東側、約3.5㎞の場所に位置します。
最寄り駅はJR我孫子町駅で、駅からはどちらも徒歩20分程度の距離となっています。
式内社とは
927年(延長5年)に成立した『延喜式』の中の巻九および巻十『神名帳』に記載されている神社で、2861社あります。
いずれも延喜式成立前からの歴史を持つ由緒ある神社であり、10世紀頃まで続いていた律令体制下では、祈年祭の際などに、国(朝廷)からの「官幣」または国司からの「国幣」を賜る、有力な神社でした。
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