住吉大社の目と鼻の先に「生根神社(奥の天神)」があります。
住吉大社と比べると小さな神社ですが、歴史の奥深さに関しては負けていません。
かつては住吉大社の摂社としての位置づけでしたが、現在は住吉大社とは別の神社として地元の人が多く信奉を寄せる。
地元の人しか知らない、生根神社(奥の天神)のディープな歴史や境内見どころをボソッと呟くように紹介します。….どんな紹介や
生根神社(奥の天神)
読み方
いくねじんじゃ・おくのてんじん
創建年
不明。一説には住吉大社よりも前に創建されたと言われています。
主祭神
少彦名命(すくなひこなのみこと)
ご利益
- 酒造業界発展
- 医学(薬)の業界の発展
- 健康長寿
- 学問向上
例祭日
10月9日
生根神社の主祭神「少彦名命(スクナヒコナ)」とご利益について
生根神社の主祭神は少彦名命で、酒造り・健康長寿・病気平癒のご利益があります。
少彦名命は、大国主(おおくにぬし)と共に国造りをおこないました。
高天原(たかまがはら)の使いで大国主の元へとやって来た少彦名命は、小さい体ながらも大国主と強い絆を結び、国造りへと着手します。
しかし強い絆で結ばれていたにも関わらず、後に少彦名命は大国主の元から去ってしまいました。
大国主の元を去った理由はわかりませんが、少彦名は大国主を信頼していたからこそ、敢えて離れたのかもしれません。
大国主は少彦名命が去ったがために意気消沈していたものの、幸魂奇魂(さきたまくしみたま)の神様の協力を得て、見事に国造りを成し遂げました。
酒造りの神様
少彦名命は、お酒を生み出した神様としても有名です。
住吉大社の創建に関わった神功皇后は、住吉三神へ奉納するためのお酒を生根神社で造りました。
生根神社に祀られている少彦名命の力を借りて、美味しいお酒を造ろうとしていたのでしょう。
住吉三神へお酒を奉納する際、神功皇后は「酒祝(さかほがい)」の歌を詠んだと、日本書紀に書かれています。
「コノキミハ、ワガキミナラズ、トコヨニイマス、イハタタス、スクナミカミノ、トヨホキ ホキモトヘシ カムホキ ホキクルホシ マツリコシミキソ アサズヲッセササ」
歌の内容を説明すると「この酒は神様が踊りながら造り天皇に献上したお酒だから、ガンガン飲め!」という、酔っぱらいのオッサンのセリフです。
なお生根神社で神功皇后が酒造りをした話を受けてか、現在でも生根神社において、毎年4月に甘酒を振る舞う「淡島祭り」が開催されています。
健康長寿と病気平癒
少彦名命は大国主と一緒に、国造りだけでなく一緒に協力して薬を作りました。
現に大阪北浜の少彦名命神社(神農さん)では、薬を作った実績を得た少彦名命を「薬の神様」として祀っています。
生根神社(奥の天神)で薬学関係の祈願に訪れる人は少ないものの、健康長寿を願って訪れる人ならば大勢いらっしゃいます。
生根神社にいる他の御祭神とご利益
生根神社にいるのは少彦名命だけでなく、菅原道真やお稲荷様も祀られています。
どんな御祭神なのか、授けられるご利益も合わせて紹介しましょう。
学業や合格祈願にご利益がある菅原道真
菅原道真は実在の人物で、文武両道に優れた人物として朝廷の間で有名になっていました。
さらに当時はボロボロになっていた讃岐国(現在の香川県)の立て直しもおこない、民衆からも絶大な指示を得ていました。…”ボロボロ”(笑)‥‥て、なに笑ろとんじゃぃ!
いわば完璧人間だった菅原道真でしたが、完璧すぎたからこそ嫉妬する人がいたのも事実です。
菅原道真の同僚だった藤原時平は、醍醐天皇に「菅原道真は醍醐天皇を陥れようとしていますよ」とフェイクニュースを伝えました。
醍醐天皇はフェイクニュースを受けて、菅原道真を九州の大宰府へと左遷することにしました。
太宰府へ左遷された菅原道真は貧しい生活を送り、謂れなき罪を背負ったまま生涯を終えることになります。
菅原道真亡き後は朝廷に次々と不幸が舞い降り、道真に無実の罪を着せた藤原時平も巻き込まれました。
更に朝廷の清涼殿に雷が落ちたことを受けて、多くの死傷者が出る騒ぎも発生します。
朝廷に降り掛かった災難は「菅原道真の怨霊」という噂が広まり、怨霊を鎮めるために創建された神社が、天満宮です。
後に菅原道真が頭脳明晰な人物だったことから、学問の神様として祀られるようになりました。
この他にも生根神社には多くの境内社がありますが、詳しい内容は後述します。
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