大阪・四天王寺「石舞台」【重要文化財】

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大阪・四天王寺「石舞台」【重要文化財】

創建年

  • 1623年(元和9年)
再建年

  • 1808年(文化5年)
大きさ

  • 長方形の形で、長さが縦20メートル、横10メートル余り
広さ

  • 面積:約200㎡

※200㎡:バレーボールコートの約1.25倍、テニスコートの約0.75倍の広さ

重要文化財指定年月日

  • 1954年(昭和29年)9月17日
寄進者(造営者)

  • 徳川家康
四天王寺・石舞台の読み方

  • 四天王寺・石舞台は「いしぶたい」と読みます。

四天王寺・石舞台の歴史・由来

四天王寺は、今から1400年以上も前の593年(推古天皇元年)に建立された、大変歴史のある寺院です。

『日本書紀』によると、聖徳太子が戦の勝利と引き換えに、四天王を安置する寺院を建立すると誓願したところ、見事勝利し、この寺院の建立が実現したと記されています。

四天王寺の建造物の配置は、「四天王寺式伽藍配置(てんのうじしきがらんはいち)」と呼ばれ、日本では最も古い建築様式の1つです。

の形式は、6~7世紀の中国や朝鮮半島に見られる様式が伝わったものと考えられ、南から北に向かい、中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並んでいて、それを回廊が取り囲むような形式になっています。

長い四天王寺の歴史の中では、度重なる災害が起こっています。

そのたびに、多くの建造物が損壊や焼失をしました。

石舞台は、そのような被災を免れた数少ない建造物の1つであり、重要文化財に指定されています。




造られたのは江戸時代!されど飛鳥時代から同位置にある「石舞台」

石舞台自体の歴史は四天王寺の建立した年月に比べると浅く、石舞台が創建されたのは元和9年(1623年)です。

徳川家が天下を納めていた江戸幕府の命により創建されました。

また、1808年(文化5年)に再建されています。

再建となると価値も低いように思われがちですが、四天王寺の石舞台の再建はとても価値あるものです。

昭和38年の再建を前にして、伽藍を中心とした徹底的な発掘調査が実施されたところ、驚くべき事実が判明しました。

それは、「中心伽藍が飛鳥時代の尺度である高麗尺で1000尺四方と実測され、創建時の規模がそのまま守られてきていること、そしてさらに再建の都度、創建当初と全く同じ場所に復元されてきた」ということです。

つまり、幾度に渡る被災を経て、この例を見ない再建の歴史の中でも、変わらぬ姿が今に引き継がれているのです。

その都度関わった人々の四天王寺にかけた並々ならぬ厚い信仰心が伺えます。

日本三舞台

この住吉大社の石舞台は「日本三舞台」といわれています。 

「日本三舞台とは」
  • 住吉大社(大阪)の石舞台
  • 四天王寺(大阪)の石舞台
  • 厳島神社(広島)の高舞台

住吉大社(大阪)の石舞台

住吉大社の石舞台は、約400年前、豊臣家の厚い崇敬から生まれた舞台です。

高欄(こうらん)と呼ばれる「てすり」に特徴があり、ハスの花を逆さにしたような形になっています。

毎年5月の最初の卯の日に行われる「卯之葉神事(うのはしんじ)」では、冠に卯の花を飾った舞人の舞いが披露されます。

住吉大社の石舞台については、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています!

大阪・住吉大社「石舞台」【重要文化財】

厳島神社(広島)の高舞台

現在ではコンサートなどにも利用される、厳島神社の高舞台は、本殿・祓殿の殿舎の延長上にあり、海上に造営されている唯一無二の舞台です。

舞台と楽屋が現在の形に改築・建立されたのが1680年(延宝8年)だと伝わっていて、広島第4代目藩主・浅野綱長が改築・建立したといわれています。

また、平清盛により「大阪・四天王寺」の舞楽の演目の一部が厳島神社へ移されており、現在でもこの舞台で舞われています。

1991年(平成3年)には、台風19号の影響によって被害を受け、1994年(平成6年)に再建されています。

石舞台の見どころ

石舞台の見どころをみてみましょう。

四天王寺・石舞台の特徴

舞が披露される舞台は水の上に配置されます。

日本三舞台とされる厳島神社は海の上となっていますが、住吉大社、四天王寺は境内にある池に架けられた橋の上に位置しています。

四天王寺の石舞台は、亀の池と呼ばれ、その名の通り、亀が沢山住んでいる池の上に架かっている石橋に組まれた舞台です。

橋の両側には木造の高欄という「てすり」が設けられています。側面には「舞台講」と彫られています。

※舞台講とは、この舞台再建に寄進の労をとった大阪の材木問屋の集まり(講)の名称です。




四天王寺の石舞台で披露される雅楽

四天王寺では、毎年、聖徳太子の命日とされる4月22日(本来は旧暦の2月22日)に、「聖霊会(しょうりょうえ)」と呼ばれる法要が、舞楽四箇法要という形式で行われます。

この法要は、数ある四天王寺の年中行事の中でも最も重要な行事とされています。

舞楽と法要が一体となっている、舞楽四箇法要とは、舞楽や雅楽が式の進行を司りつつ、四つの仏教儀式(梵音・唄・錫杖・散華)が行われる法要形態です。

昔は25曲の舞楽が演じられていたとされていますが、今日でも午後1時頃から約5時間に渡り、10数曲が演奏されます。

普段は石畳のように見える石舞台も、この時ばかりは、柵が設けられ、舞台らしく様変わりします。

また、牛四頭分の皮からなる二つの大太鼓が偉容を誇り、舞台の四隅を極赤色の曼珠沙華を模したオブジェが飾られます。

飛鳥の法要を今に伝えているとされる、「聖霊会」の舞楽法要は大変古い歴史を持ち、その素晴らしさから、吉田兼好の『徒然草』にも登場します。

また江戸時代の文人太田南畝(おおたなんぽ)も聖霊会の見物記を残しています。

1977年(昭和52年)にはその歴史的価値が認められ、「聖霊会の舞楽」(天王寺舞楽)は国の重要無形民俗文化財に指定されています。

「聖霊会」以外で天王寺楽所の舞楽が見られる日
  • 1月 厳島神社 二日祭・元始祭【厳島神社にて】
  • 1月 今宮戎神社奉納舞楽【今宮戎神社】
  • 2月 聖徳太子御正當会奉納舞楽【四天王寺太子殿にて】
  • 3月 雅楽伝習所発表会【場所は要確認】
  • 5月   卯ノ葉神事舞楽【住吉大社にて】
  • 6,7月 雅楽ゼミナール【津村ホールにて】
  • 8月   篝(かがり)の舞楽【四天王寺講堂前庭にて】
  • 9月  観月祭【住吉大社にて】
  • 10月 経供養【四天王寺太子殿前庭にて】
  • 11月 以和貴演奏会【フェスティバルホールにて】

古来の作法を今に引き継ぐ「天王寺楽所」の存在

「天王寺楽所」は、聖徳太子が、雅楽の前身とされる「外来音楽」によって、三宝(仏・法・僧)を供養せよ、と命じたことから発生し、以来、四天王寺に置かれたと伝わる雅楽伝承組織です。

聖徳太子の命日法要である「聖霊会」での奏楽・奏舞を行なうことを根本的な目的として、日本の雅楽伝承を支えてきました。

このような伝承組織は、「三方楽所(さんぽうがくそ)」と呼ばれ、江戸時代初期に雅楽伝承の為に制度化されました。

宮廷のある京都、奈良の興福寺、大阪の四天王寺を三方の楽所として指定し、一方17名ずつの計51人からなっています。

その楽所の1つである天王寺楽所は、特にその舞楽の舞態に固有性を持ち、野外で演奏することや、参詣者の仏縁を深めることを目的としていたことから、ダイナミックで明確な舞いぶりを受け継でいます。

明治以降は、天王寺舞楽の伝統は民間の手によって維持伝承されています。

石舞台の場所

南大門をくぐり、境内に入り、講堂に向かって歩きます。講堂を抜けると亀池が見えてきます。

亀池の上に架かる石橋の上にあるのが四天王寺の石舞台です。

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