大阪・法善寺を徹底解明!~「見どころ・アクセス・歴史」などをご紹介します~

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大阪・法善寺を徹底解明!~「見どころ・アクセス・歴史」などをご紹介します~

大阪の難波にある法善寺は、大阪の昔ながらの風情と活気が感じられる寺院です。

印象的な苔に包まれたお不動さんや、極楽浄土への道筋を学べる、二河白道堂(にがびゃくどうどう)など見どころも満載です。

今回は法善寺の見どころに加え、アクセス方法や歴史も詳しくご紹介するので、すでに行かれた方も、これから訪れる方も是非ご一読ください。

【読み方】

浄土宗 天龍山 法善寺(じょうどしゅう てんりゅうざん ほうぜんじ)

【創建年】

寛永14年(1637年)

【主祭神】

阿弥陀如来、西向不動明王、金毘羅天王、お初大神

【年中行事】

法善寺祭り (8月10日、11日)

【開基/開祖】

専念法師

【御本尊】

阿弥陀如来、西向不動明王、金毘羅天王

法善寺の歴史(由来)

法善寺は、もともと山城国宇治郡北山村(現在の京都の宇治)に建っていたお寺です。

ではなぜ、大阪へ移転したのでしょうか?地名にも結び付く由来も含めてご紹介します。

法善寺起源

法善寺の始まりは、元和6年頃(1620年代後半~1630年代前半)と言われていて、琴雲法師が開山として建立したのが山城国宇治郡北山村(現在の京都の宇治)でした。

その後、寛永14年(1637年)に、大和国(現在の奈良県)出身であった、当時の住職、中誉専念法師が『金毘羅天王懇伝』の故事に従って、現在の大阪に移転させました。

この大阪への移転の際は、現在の天王寺区上本町8丁目が当初の移転先で、そこからさらに難波に移転したという説もあります。

人々からの信仰を集めた専念法師

大阪難波の人々に寄り添いながら時を経た法善寺ですが、江戸時代の難波付近は、死者の焼き場や墓地、刑を執行する場所などが集まる葬送の地となっていました。

そこで、当時の住職であった専念法師は、処刑された人や埋葬された人々の供養のために、千日間にもおよぶ念仏回向を勤める、「千日念仏回向」を寛永21年(1644年)から始めました。

明治に入ると墓地は阿倍野へ移り、処刑する場所も廃止となりましたが、どんな者にもお経を唱えるにその姿は人々の胸に焼き付き、大阪ミナミの法善寺一帯の地域は「千日前」と呼ばれるようになりました。

度重なる焼失

そのような歴史を持つ法善寺ですが、火災や戦災を何度も経験しています。

文政2年(1828年)には他の家から出た火によって焼失してしまい、澄誉上人が伽羅を再建しました。

また、嘉永5年(1852年)の焼失では、見誉上人が3年の歳月をかけて再建しました。

さらに、第二次世界大戦中であった昭和20年(1945年)の3月13日には、大阪大空襲により、六堂伽羅の全てが焼失しましたが、水掛不動尊だけが残りました。

その後、終戦を終えて15年間で「金毘羅堂」と「庫裏」が再建できたものの、「本堂」の建て替えは見通しが立っていませんでした。

そこで、法善寺に縁の深い天王寺区生玉寺町にある、浄土宗寺院の長圓寺に本尊の阿弥陀如来を移すことにしました。

そのため、長圓寺は「法善寺別院」となったのです。

【法善寺別院・長圓寺の御本尊「阿弥陀仏立像」】

画像引用元:大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 公式ホームページ

  • 制作年:不明
  • 制作者:不明

空襲による焼失で、再建を行っていた法善寺でしたが、本堂は未着手でした。

そのため、長圓寺境内を法善寺の飛び地境内、つまり「別院」と位置づけ、昭和35年(1960)頃に、長圓寺に本堂を建立しました。

そして、法善寺の御本尊である「阿弥陀仏立像」も移され、奉納されることとなりました。

三河岡崎の大樹寺より請来(しょうらい)したものと伝わっていますが、作年代や作者は不明です。

長圓寺の所在地・お問い合わせ先


  • 所在地:大阪市天王寺区生玉寺町4番29号 ※法善寺から徒歩約20分
  • 電話番号:06-6771-9839
  • ホームページ:大阪新四十八願所第37番
「現在の本尊「阿弥陀如来坐像」」

画像引用元:大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 公式ホームページ

  • 制作年:不明
  • 制作者:不明

復興への道のり

法善寺の復興はその後も続き、平成21年(2009年)に「二河白道堂」が完成、平成25年(2013年)には「金毘羅堂」、「お初大神」の修復が完了しました。

今後も、本格的本堂の再建計画が期待されています。

法善寺の「西向不動明王」について

 大阪三大不動

境内で一番目を惹くのが、“水掛不動尊”の名で親しまれている「西向不動明王」でしょう。

西を向いているお姿から、この名前がついていると推測されるお不動様です。

沢山の人から願いとともに水を掛けられているため、鮮やかな緑色の苔を身に纏ったお不動さんは、梅田の太融寺、高津の清水寺と並んで「大阪三大不動」の1つとしても有名です。

不動明王は、大日如来の化身とされ、その教えを広める姿を表した仏さまです。

炎の光背を背にして、右手で剣を握り、左手には煩悩を縛って悪の心を改心させるための縄を持ち、憤怒の表情で目を見開く姿です。

どんな悪人でも仏道に導く決意を表したそのお姿で、私たち衆生の悪い心や災いを焼き尽くしていただけるのです。

西向不動明王「水掛け」の歴史

そんなお不動さんですが、“水掛け”の歴史は意外にも浅いものです。

400年近い歴史の中でも“水掛け”は、戦後に法善寺にお参りに来たひとりの女性から始まります。

女性はお供えされていた目の前の水を手にすくい、「願いをかなえて欲しい」とお不動さんにかけたのです。

そのような真摯に仏さまに願いを掛ける女性の作法が現代へと引き継がれてきました。

願いの数だけ広がり、願いの分だけ育まれた苔によって、お不動さんは緑色のお姿になっているのです。

西向不動明王のご利益

そんなお不動さんには、病気平癒、商売繁盛、縁結びのご利益があると言われています。

病気平癒祈願なら、身体の悪い部分に願掛けのお水をかけると良いとされています。

商売繁盛としては特に“水”に縁のあるお不動さんのため、水商売の繁盛にご利益が期待できます。

また、両脇の矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制た迦童子(せいたかどうじ)を男女にみたてて、水を掛ければ縁結びのご利益があるといわれています。

法善寺の見どころ(境内案内)

法善寺の境内にはどんな見どころがあるのでしょうか?

詳しくご案内します。

金毘羅堂

海上交通の守り神である金毘羅さんがお祀りされている理由は、難波がその昔、港町だったからです。

海が荒れることで有名だった難波の海を守るためにお祀りされましたが、今では、交通安全や商売繁盛の神様として崇められています。

二河白道堂(にがびゃくどうどう)

新たなパワースポットとして注目される、二河白道とは、中国の高僧である善導大師が1300年も昔に説いた、浄土教における極楽往生を願う信心の例えです。

つまり、私たちがこの世からあの世へ往生する様子を喩えたお話です。

主に掛け軸に絵を描いて説法を行うものですが、法善寺の場合は、石盤のレリーフに刻まれています。

【二河白道堂に書かれている絵】

通常の絵には、上段に阿弥陀仏と観音菩薩・勢至菩薩のニ菩薩が描かれ、中段から下には真っ直ぐの細く白い線が引かれています。

白い線の右側には水の河が逆巻き、左側には火の河が燃え盛っている様子が描かれています。

下段にはこちらの岸に立つ人物とそれを追いかける盗賊、獣の群れが人の欲を表すために描かれています。

【絵が物語る意味】

この絵に描かれているものにはそれぞれ意味があります。

上段の岸は浄土のことで、下段の岸は現世のことを表します。

また、右の河は、欲や執着の心(欲に流されると表すことから水の河)を表した「水の河」の急流が押し寄せ、左の河は、怒りや憎しみの心(憎しみは燃え上がると表すことから火の河)を表した、燃え盛る「火の河」が迫ります。

そのような、この世とあの世の境界ではお釈迦様と阿弥陀仏の声が聞こえてくるのです。

東岸からは釈迦の「逝け」という声がし、西岸からは阿弥陀仏の「来たれ」という声がします。

この呼び声に応じて人物は白い道をとおり西岸に辿りつき、悟りの世界である極楽へ往生を果たすというものです。

【法善寺の石盤】

法善寺の石盤では、二河白道堂を通り抜けた先に立つ「南無阿弥陀仏」の石柱が、極楽浄土に例えられています。左は燃え盛る「火の河」、右は急流が押し寄せる「水の河」が迫る場所で、極楽浄土へ向かう唯一の方法は、お堂の真ん中を貫く一筋の白道しかありません。

煩悩の多い人間は、危険がすぐそばに迫る細い道を前にしてもなお、進むことを悩み、躊躇し、恐れたりします。そんな時、「安心して行きなさい」お釈迦さまの声が後押しをしてくださり、「信じて来なさい」と勇気づけてくれてくださるのが阿弥陀さまなのです。

お堂の左右には、お釈迦さまと阿弥陀さまの石製レリーフが刻まれています。

お初大神

お初大神は、伏見稲荷大社などと共に日本三大稲荷の1つとされる、岡山最上稲荷大明神をお祀りしています。

境内の北側の東に小さなお社が鎮座しています。

法善寺では、「お初大神」の呼び名で親しまれていて、商売繁盛、五穀豊穣のご利益を求める参拝者で賑わいます。

お初大神と先に説明した金毘羅さんは、いずれも神道の神様です。

なぜ、お寺に神様がお祀りされているかは、仏教寺院に神仏習合の名残が残っているからです。

神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本古来の信仰であった、神祇信仰(神道)と外国から伝わって発展した仏教信仰(日本の仏教)が融合し、1つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象のことです。

しかし、明治維新に伴い、神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院をはっきり区別させる、神仏分離(しんぶつぶんり)の令が発令されたのです。

現在では寺院と神社は別々に立地している場所が多いですが、法善寺では発令以前の姿を確認することが出来ます。

慈悲地蔵尊

先にお話したように、法善寺や法善寺周辺は、度々火災に見舞われています。

昨今でも火災の被害はあり、平成14年(2002年)と平成15年(2003年)の法善寺近くにある法善寺横丁の火災は、周辺の店舗に多大な被害を与えました。

人々は、古き良き大阪の風情と活気を取り戻す決意と共に復興を記念して、平成16年(2004年)に、この慈悲地蔵尊を造立しました。

  • 正式名称:慈悲地蔵尊(慈悲地蔵尊)
  • 制作年:平成16年(2004年)
  • 作者:石彫家 奥村 美嗣

その他のスポットや石碑

その他のスポットや石碑をご紹介します。

東側の法善寺参道入口石碑

千日前筋に沿って立っている石碑です。「天龍山法善寺」と書かれています。

西側の法善寺参道入口石碑

西向不動明王(水掛不動尊)の入り口に立っています。「浪花名物 三大不動 西向不動明王」と書かれています。

洗心水

お参りする前にお清めをする手水舎です。井戸になっていて、お不動さんにかけるお水もここから汲み上げます。洗心水の横に、慶応4年(1868年)4月と刻まれています。

寺務所

お守りや御朱印などはこちらで授与頂けます。

洗心水の奥に窓口があります。

大阪ぐらしの記念碑

フランク永井の曲である「大阪ぐらし」の記念碑があります。

「がたろ横丁で 行き暮れ泣いて ここが思案の 合縁奇縁 おなごなりゃこそ

願かけまする 恋の思案の 法善寺」と刻まれています。

法善寺の祭り

法善寺の他の情報も知れば、行った時の楽しみも増します。

法善寺祭り

8月の中旬に行われるお祭りです。

初日は水掛不動尊前で、法善寺住職らによる安全祈願法要と鏡開き、上方落語地車囃子が行われます。

他にも、文楽の奉納や、法善寺川柳選考と入賞者発表など、大変賑わいます。

金毘羅大祭

海上交通の守り神であり、商売繁盛の神様としても信仰を集める金毘羅さんのお祭りは10月の上旬に開催されます。法要やイベントが盛りだくさんのお祭りです。

他にも、年中行事として修正会(しゅしょうえ)・節分会・お初天神法要・盂蘭盆施餓鬼会などが開催されます。

お不動さんの御縁日

水掛不動明王護摩法要が、毎月28日に行われます。

19時から21時30分と夜に護摩のお焚きあげをして下さる法要で、護摩供養料は500円と300円です。

願いを託した護摩の炎が夜空に映える御縁日です。

法善寺から徒歩1分!『法善寺横丁』

法善寺横丁は、大阪ミナミの繁華街近くにありながらも、静かな風情を漂わせている街です。

石畳の横丁内には、老舗の割烹やバー、お好み焼き、串カツ店など大阪グルメが味わえるお店が沢山あり人気です。

法善寺横丁の起源や始まり「どうしてこんなところに横丁ができたのか?

法善寺横丁の始まりや起源は江戸時代にあります。当時、道頓堀を中心としたこの界隈には芝居小屋が開かれ、人が絶えなかったそうな。

芝居を楽しんだ人々は付近にある法善寺へも足を運び、ここで願を掛けて帰るのが一種の慣習みたいなものだったようです。

やがて法善寺の境内でも寄席が開かれるようになり、道頓堀から法善寺を中心とした界隈へ、さらに人が集うようになっていきます。

人ある所に何とやらで次第に露店を開く者も出没しはじめます。これが法善寺横丁の起源であり、始まりです。

法善寺は太平洋戦争の空襲で焼失!

法善寺は太平洋戦争の空襲で本堂が焼失しており、境内にあった料亭なども焼けていますが、江戸時代より人が自然に参集するような憩いの場のようになっていたことから、ほどなく店は復興し、かつての活気を取り戻していきます。

この頃から現在見られるような個性的な飲食店が軒を連ねるようになり、浪花の情緒を物語る上で欠かすことができない街として、芸人や文化人たちから親しまれます。

そしてこれら文化人や芸人たちを通して法善寺横丁の情緒が小説や歌、舞台のネタなどに用いられ、大阪ミナミ(浪花)の情緒を語る上で無くてはならない存在にまでなってゆくのです。

平成14年〜15年にかつての景観が復興される!

平成14年〜15年になると、法善寺横丁はじめ法善寺を中心とした界隈を火災前の景観へ戻そうという計画が地元の有志によって立ち上げられます。

実は法善寺は太平洋戦争の空襲を含め過去に2度、火災によって灰燼に帰しており、二度と火事を起こしてはならないという強い意志のもと、再び火災前の街並みが復興されています。

【小説の舞台】

織田作之助さんの小説「夫婦善哉」の舞台となっています。

題名は、法善寺横丁にある、ぜんざいの店「めをとぜんざい(夫婦善哉)」の名前から取られたものです。

【歌謡曲の舞台】

昭和35年(1960年)に藤島桓夫さんが歌い大ヒットした、「月の法善寺横丁」の歌の舞台です。

作詞は十二村哲さん、作曲は飯田景応さんです。法善寺横丁の路地裏の片隅にひっそりと歌碑が佇んでいます。

【コメディ番組の舞台】

朝日放送で放送されていた、「なにわ尋常コメディ 横丁へよ~こちょ!」の舞台「はなつき横丁」のモデルになっています。

【ゲームソフトに登場】

シリーズ化している、人気ゲーム『龍が如く』に登場する「法眼寺横丁」のモデルになっています。

【寄席を開催】

月に1回のペースで、関西演芸協会主催の法善寺寄席が毎月行われています。

法善寺横丁には演芸ホールがあり、演芸に縁の深い場所です。

法善寺の授与品(御朱印・御朱印帳・お守りなど)

法善寺の御朱印は、日付以外ゴム印ですが、水掛不動尊、お初大神、金毘羅天王と神仏習合で書かれています。

初穂料は200円です。お守りで注目したいのは、「お守りシール4枚セット」です。

可愛らしいシールには、お不動様と、法善寺のお参り風景などが描かれています。500円で販売しています。

法善寺の授与品について詳しくは、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。

大阪・法善寺の「御朱印・御朱印帳・お守り」の種類・値段など


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法善寺の場所とアクセス(行き方)

法善寺までの行き方をご紹介します。

【電車】最寄りバス停から法善寺へのアクセス(行き方)

【電車】最寄り駅から法善寺へのアクセス(行き方)

大阪市高速電気軌道(Osaka Metro「日本橋駅」下車】

  • なんばウオークB18番出口から北へ徒歩約1分 
【南海電気鉄道線「なんば駅」】

 

  • なんばウオークB16番出口から北へ徒歩約1分

【バス】最寄りバス停から法善寺へのアクセス(行き方)

「戎橋バス停」

  • 大阪市営バス73系統/戎橋(えびすばし)バス停下車徒歩2分
「道頓堀橋バス停」

  • 大阪市営バス8・84・85系統/道頓堀橋(どうとんぼりばし)バス停下車徒歩5分

「法善寺の駐車場・駐輪場」

法善寺には参拝者用駐車場がないので、最寄りのコインパーキングをご紹介します。

■SC千日前パーキング駐車場

  • 住所:大阪府大阪市中央区千日前1丁目9-11
  • 営業時間:8時00分~25時
  • 収容台数:普通車20台、ハイルーフ車12台
  • 駐車料金:平日300円/30分、土日祝350円/30分、泊り料金500円
  • 最大料金:(5時間最大)
  • 駐車制限:全長4900/5300mm、全幅2050mm全高1550/2000mm、重量2200kg
  • 電話番号:06‐6212‐3382

法善寺までのアクセス:徒歩約1分

法善寺の拝観時間・拝観料・お問い合わせ先など

【拝観時間】

  • 水掛不動尊・金毘羅天王・お初大神・二河白道堂は24時間いつでも可能
  • お守り・御朱印授与所の受付:午前8時~午後11時
【拝観料】

  • なし
【お問い合わせ先など】

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