大阪天満宮の見どころ(境内図)とアクセス・駐車場情報!

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大阪天満宮の見どころ(境内図)とアクセス・駐車場情報!

大阪天満宮は、大阪駅からも近く、路線によっては1駅でたどり着くことができます。

日本一長い商店街である、天神橋筋商店街もすぐそばにあり、「てんまの天神さん」として、古くから地元の人々に篤く信仰されてきました。

日本三大祭のひとつとされる「天神祭」も有名で、毎年7月25日の奉納花火の日には、約130万人もの人が訪れます。

こちらのページでは、そんな大阪天満宮の見どころや歴史、アクセス(行き方)・駐車場について、ご紹介します。

大阪天満宮の御祭神とご利益

御祭神

  • 菅原道真公(天神さま)

※相殿神として、以下の四柱を祀る。

  • 手力男命(あめのたぢからおのみこと):
    天岩戸をこじ開けてアマテラスを外へ出し、世界に太陽を取り戻した怪力の神
  • 猿田彦大神(さるたひこ(の)おおかみ):みちびきの神
  • 野見宿祢(のみのすくね):相撲の神
  • 蛭子尊(ひるこのみこと:えびす神):商業の神
ご利益

  • 学業成就、試験合格、諸芸上達 など

学問の神として有名な菅原道真公ですが、他にも、書や漢詩、和歌に秀でていたことから、それらを含む諸芸の上達にご利益があるとも言われています。

また、「学問の神」が転じて、「子どもの守り神」としても信仰されているため、初宮参り、七五三などでの参拝もおすすめです。

なお、大阪天満宮には、多くの摂末社があり、それぞれに御祭神を祀っているため、他のお社にお参りすることで、色々なご利益のある神々にご加護をお願いすることができます(後述)。

大阪天満宮でのご祈祷(ご祈願)

大阪天満宮では、学業成就や試験合格以外にも、厄除けや交通安全など、色々なご祈祷・ご祈願を受け付けています。

特別な日には、ぜひ、ご本殿でのご祈祷を受けてみてください。

初穂料(祈祷料)

  • 個人:6,000円 ※初宮詣の場合10,000円
  • 法人・団体:30,000円~

※個人の場合は予約不可。法人・団体は要予約。

ご祈祷実施時間

  • 9時~17時 ※最終受付16時30分
受付場所

  • お守り授与所
所要時間

  • 通常、受付から約60分

※祭事などの都合で、祈祷開始まで待つ場合があります。個人のご祈祷の場合は予約はできませんが、希望の日時に特別な行事が入っていないかどうか、ホームページで確認したり、電話で問い合わせたりしておくと安心です。

大阪天満宮の御朱印とお守り

大阪天満宮では、天神祭などの限定御朱印を含む御朱印と、オリジナルの御朱印帳、そして個性豊かなお守りの数々が授与されています。

いずれも手水舎奥の授与所でいただけます。

大阪天満宮の境内図(マップ)

大阪天満宮には、菅原道真公を祀る本殿の他に、道真公と関係の深い神々や、地元と関係のある神々を祀る、およそ20の摂末社があります。

以下では、本殿・拝殿と周辺の建物や、大阪天満宮の各門について、そして、摂末社やその他の建物、主な石碑などについてご紹介します。


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大阪天満宮の境内の見どころ①本殿・拝殿と周辺

本殿・幣殿・拝殿

  • 再建年:1843年(天保14年)
  • 建築様式:権現造(石の間造)
  • 屋根の造り:銅板葺
  • 御祭神:菅原道真公
  • ご利益:学業成就、試験合格、諸芸上達 など

大阪天満宮の本殿は、1837年(天保8年)の大塩平八郎の乱で焼失してから6年後、氏子や崇敬者らの奉仕によって再建され、今に至っています。

表大門から境内に入って正面に見えるのが拝殿で、通常はこちらに設置されている賽銭箱の前で拝礼します。

賽銭箱前から拝殿の軒下を見上げたところ。龍の彫刻が見える。

その後ろに、幣殿(へいでん)または石の間などと呼ばれる部屋を挟んで繋がっているのが、本殿です。

大阪天満宮の航空写真。3つの建物の屋根が繋がっていることがわかる。

この、幣殿で拝殿と本殿を繋いだ社殿の建築様式を「権現造」と呼び、拝殿から本殿までを「本社」と総称する場合があります。

なお、この建築様式は、日光東照宮に代表される「東照大権現(徳川家康)」を祀る神社で多く採用されたために「権現」と名付けられており、特に江戸時代には各地の神社の本殿・本社に多く採用されました。

神社によっては、本殿はほとんど目視できないようになっているところもありますが、大阪天満宮の場合は本殿を囲む瑞垣の背が低いこともあり、屋根の部分が、しっかり見られます。

右手前が本殿、左奥が拝殿。間にある、屋根が一段下げられている部屋が幣殿。

真後ろに回ると、御垣に門が設置されており、その前に賽銭箱が置かれて、拝礼スペースとなっています。

もちろん中には入れませんが、御祭神に近いこの位置からの参拝もおすすめです。

本殿の真後ろには賽銭箱が設置されている。

拝殿・本殿共に派手さはなく、装飾も最低限という印象ですが、組み物など要所要所に金が施され、まぶしく輝いているのがアクセントになっています。

また、柱や屋根の上、釣り燈籠など各所に大阪天満宮の社紋(神紋)である梅の紋があしらわれています。

お参りする際に頭上に見える、龍の彫刻にも、ぜひご注目ください。

東登竜門・西登竜門

幣殿の左右の入口になっているのが、東登竜門(向かって右)と、西登竜門(向かって左)です。

唐破風が印象的なこの2つの門も、大塩平八郎の乱の後に再建されたものです。

両側の門の前に設置されている金燈籠は、2002年(平成14年)の菅原道真公(没後)1100年大祭に合わせて有志から奉納されたもので、戦中の金属供出で失われたかつての燈籠が再現されています。

燈籠の屋根や胴体部分には、「竜門と呼ばれる急流を無事に越えて川を上り切った鯉は龍になれる」という「登竜門」の故事にちなんだデザインの彫刻が施されています。

登竜門前の灯籠のデザイン
  • 屋根・・跳ね上がる鯉
  • 胴体・・天空へ舞い上がろうとする龍

大阪天満宮の登竜門は閉鎖されており、通常はくぐることはできませんが、試験合格や出世、昇格、昇級などを祈願して、ぜひ、ご覧になってください。

1月から3月にかけての特定の日には、登竜門を通り抜けることができます!

関連記事:代理参拝も可能?大阪天満宮「通り抜け参拝」の日程と申込み・参拝方法など!

神楽殿(神楽所) ※登録有形文化財

  • 建築様式:木造平屋・入母屋造
  • 屋根の造り:銅板葺
  • 大きさ(建築面積):42㎡

本社の向かって右側(東)にあるのが神楽殿で、拝殿と橋のような渡り廊下でつながっています。

その名の通り、神楽の舞を奉納するための建物で、乗用車の駐車スペース2、3台分の小さな建物です。

飾り気のない建物ではありますが、建物正面から神楽殿を見ると、柱上の舟肘木、軒の二軒疎角垂木(ふたのき・まばらかくだるき)、擬宝珠付きの高欄などが目につきます。

※二軒垂木:二段に設けられた垂木
※疎垂木:左右の間隔が広く、まばらに配置された垂木

また、釣りあげて開ける、古式ゆかしい格子蔀戸(しとみど)も特徴的です。

1999年(平成11年)には、参集殿、梅花殿と共に、国の有形文化財に登録されました。

普段はご祈祷を申し込んだ方が入れるだけで、一般には開放していませんが、2月の梅まつり(梅盆栽展示)など、季節の催しが開かれ、期間限定で内部を拝観することができます。

盆栽展の様子
神楽殿裏側の日本庭園。大きなガラス窓は境内の結婚式場のもの。

参集殿(参集所) ※登録有形文化財

  • 建立年:1910年(明治43年)
  • 建築様式:木造平屋・入母屋造
  • 屋根の造り:銅板葺
  • 大きさ(建築面積):231㎡

参集殿は、1910年(明治43年)10月20日、「天満宮保勝会」によって献納されたもので、神楽殿の向かって左側にあります。

神楽殿と一続きの建物ですが、軒を一段下げることで変化を出しており、神楽殿の約5.5倍、バスケットコートの半分くらいの広さがあります。

現在は「広間」とも呼ばれ、通常、結婚式が行われる梅花殿の控室として利用されています。

通常、一般の参拝者への内部公開はしていません。

梅花殿 ※登録有形文化財

  • 読み方:ばいかでん
  • 建築様式:木造平屋・入母屋造
  • 屋根の造り:銅板葺

梅花殿は、1928年(昭和3年)の道真公(没後)1025年大祭を記念して造営されました。

平安朝の寝殿造をイメージした造りで、伊勢神宮の古材を用いて建設されました。

神楽殿と参集殿の出入口は西(本社の方)向きですが、参集殿の後ろに渡り廊下で繋がる梅花殿は南向きの建物です。

元々は客殿でしたが現在は結婚式場の会場として利用されており、通常は非公開となっている上、塀で囲まれているため、後ろ側に回ってみても、残念ながら屋根しか見えません。

身舎 (母屋) と庇から成る構成の建物で、本社から見て最も奥、東端の部屋の天井を「支輪付二重折上小組格天井(しりんつき・にじゅうおりあげ・こぐみごうてんじょう)」とした、格式高い造りが特徴的です。

現在は宝物庫に収蔵されていますが、この梅花殿のために有名画家たちが手掛けた襖絵が多数あり、一部は写しを天満宮会館の寿の間で見ることができます。

格天井・小組格天井・折上小組格天井とは

格天井とは、格縁(ごうぶち)と呼ばれる細長い板を縦横に組み合わせて正方形の格子状にしたものを取り付けた天井です。
通常は鏡板(かがみいた)と呼ばれる天井板を格子のマスの部分に張りますが、鏡板の代わりに小組の格子を組み入れたものを小組格天井と呼びます。

また、格天井の縁の部分を折り上げて一段高くし、支輪(亀の尾)と呼ばれる湾曲した縦材で留めたものを「折上小組格天井」と呼び、折り上げた天井の一部を、またさらに支輪を使って折り上げて2段にしたものが、二重折上小組格天井です。

二重折上小組格天井は、天井の造りとしては最も格式が高いとされています。

二重折上小組格天井の例:名古屋城・本丸対面所「上段之間」

大阪天満宮の境内の見どころ②門

大阪天満宮の主な出入口(門)をご紹介します。

表大門

  • 門の造り:四脚門、切妻造
  • 屋根の造り:本瓦葺

大阪天満宮の本殿正面にあるメインの出入口が、こちらの表大門です。

鳥居でも注連柱でもなく、寺院によく見られる重厚な「門」だということにご注目ください。

境内正面、この表大門がある並びには、神社建築には用いないはずの瓦葺の屋根が目立つという点もポイントです。

シンプルながら存在感のある木鼻からも、寺院の門の雰囲気が漂います。

表大門の木鼻

そしてこの仏教建築のような門にわざわざ注連縄をかけていることからも、江戸時代以前の、神仏習合の名残が感じられます。

なお、門の内側には、将棋の駒のような形の「大注連縄」という案内板が掲げてあります。

それによると、この大注連縄は、「御神退(道真公の死後)1100年大祭記念(2002年)」に、出雲玉造天満宮奉賛会と、玉湯町観光協会、玉造温泉旅館組合が奉納したものだということです。

表大門の天井の十二支方位盤

さて、表大門をくぐる際に、頭上を見上げてみてください。

彩色をほとんど施さない大阪天満宮の門や社殿の中で、極彩色のこの方位盤は、何だか妙に派手派手な印象を受けます。

方位盤には、東西南北に合わせて、十二支の動物の絵が刻まれています。

南(手前)は午(うま)、東は卯(う)、北は子(ね)、そして西は酉(とり)・・

と思いきや、「酉」と書いているにもかかわらず、鶏ではなく、霊鳥「鳳凰」が描かれています。

鶏ではなく鳳凰が描かれている理由としては、以下のような話が伝えられています。

菅原道真公が京の都を追われ、大宰府へ赴く際、おばである道明寺(現在の大阪府藤井寺市にある道明寺天満宮)の覚寿尼(かくじゅに)を訪ねました。
二人は夜な夜な語り合いましたが、翌日、まだ夜の明けきらぬ頃、鶏の鳴く声に出発を告げられ、泣く泣く別れました。

その時、道真公は以下のような和歌を詠んだと言います。

鳴けばこそ別れも憂けれ の音の聞えぬ里の暁もがな
(鶏が鳴くので、別れなければいけず、悲しいことだ。夜明けに鶏の鳴き声が聞こえない里であればよかったのに。)

当時の旅人にとって、夜明けが来れば出発の時間、そして、夜明けを告げるのが鶏、ということだったわけですね。

この逸話から、大阪天満宮では「鶏」モチーフの物は避けられており、酉年の絵馬や土鈴なども鳳凰柄になっています。

表大門では鳳凰のレリーフも見られる。
25日限定!表大門「方位盤」の御朱印帳

天神さまのご縁日である毎月25日には、こちらの方位盤のデザインのインパクト抜群な御朱印帳が授与されています。

25日限定ですので、ぜひぜひ!お参りの上、拝受してください!

蛭子門

  • 読み方:えびすもん

かつて、この門を入ってすぐの左手に「戎社(えびすしゃ)」があったことから、胡子門という名称になっています。

戎社は移動しましたが、門はそのまま残ったようですね。

2007年(平成19年)より、長らく途絶えていた正月恒例行事「十日えびす」も復活し、門の右手前には、記念の石碑が建てられました。

門の左手前には、御神酒笑姿(えびす)という石像が鎮座。

北鳥居(北門)

南森町駅から大阪天満宮へ向かうと、こちらの北鳥居(北門)が一番近いため、境内の裏側ながら、多くの人が利用します。

お祭りやお正月など人が多い時には出口専用となり、南側の門から入ることになります。

門のそばには梅が植えてあり、2月ころには梅の花を見ることができます。

この他、境内の北側には、白米稲荷社の脇にも境内への出入口があり、境外の祖霊社(後述)と行き来するには便利です。

大阪天満宮の境内の見どころ③摂末社

白米社(白米稲荷社)と周辺(境内北側)

白米社(白米稲荷社)

  • 読み方:しらよねしゃ(しらよねいなりしゃ)
  • 御祭神:稲荷大神(お稲荷さん)
  • ご利益:五穀豊穣、商売繁盛、家内安全 など

白米稲荷社は、境内の北東の少し奥まったところにあります。

境内社ながら大きな向拝が付いた立派な社殿で、「てんまのお稲荷さん」として親しまれています。

中に入ると「狐、天狗の爪とぎ石」とされる大きな天然石があります。

実際は、キツネが爪を研いだわけではなく、古代、勾玉や菅玉を磨いた石ということですが、そこには独特なお参り方法の案内が出ています。

1.授与所で「勾玉守」を拝受する
2.とぎ石の前で一礼する
3.勾玉守を持った手で、願いを込めて3回なでる
4.一礼する
5.白米社(本殿)前で二礼二拍手一礼する

ここでおすすめされているお参り方法を実践するには、先に授与所に立ち寄る必要がありますので、ご注意ください!

なお、白米稲荷社への入口は、祖霊社へ向かう境内出口を出てすぐの、右側にもあります。

稲荷奥宮

白米稲荷社の隣にあるのが稲荷奥宮へ続く鳥居です。

たくさんの鳥居が連なった参道の奥に、社殿があります。

稲荷奥宮の社殿

八坂社

  • 読み方:やさかしゃ
  • 御祭神:素盞雄命(すさのおのみこと)
  • ご利益:縁結び、厄除け、病気平癒、学業成就 など

八坂と名がつく神社の御祭神と言えば、スサノオノミコトです。

数々の伝説が伝わる御祭神のご利益は、縁結び、厄除けなど、多岐にわたっています。

北区・天神西町にあった神社を移したもので、現在社殿は、大阪天満宮の本殿と神楽殿・参集殿の間を抜けて進んだ、白米稲荷社の手前にあります。

妻社

  • 御祭神:大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
  • ご利益:縁結び、子授け、五穀豊穣、商売繁盛 など

妻社は、かつて中之島にかかる渡辺橋の北詰に鎮座していましたが、荒廃していたため、1947年(昭和22年)に大阪天満宮の境内に社殿を造営し、現在の場所(八坂社の奥)にお祀りしたものということです。

大己貴大神とは、大国さまとして知られる国造りの神で、こちらも幅広いご神徳を持つと言わていますが、ここでは特に、縁結びの神として信仰を集めています。

なお、妻(つま)というのは、現在は夫婦の「婦」の方を指しますが、もともとは夫という意味でした。

亀吉・鶴姫大明神社

  • 御祭神:鶴姫大明神・亀吉大明神・天満辨財天

白米稲荷社の奥宮のそばに建つこちらのお社には、鶴姫大明神・亀吉大明神・天満辨財天の3柱の神が合祀されています。

鶴姫・亀吉という名前の神は神話に登場する神ではありませんが、そのお名前から、長寿や夫婦円満にご利益があるのではないかと推察されます。

弁財天は、財運アップ、縁結び、芸術・芸能の上達などのご利益があるとされており、七福神の中の一神でもあります。

大将軍社と周辺(北鳥居手前)

大将軍社

  • 読み方:たいしょうぐんしゃ
  • 御祭神:
    八衢比古神(やちまたひこのかみ)
    八衢比売神(やちまたひめのかみ)
    久那斗神(くなどのかみ)
  • ご利益:牛馬守護、五穀豊穣、道中安全、厄除け など

大将軍社は、大阪天満宮が天満宮になる前から鎮座する、由緒ある神社です(歴史については後述)。

現在は、かつてここで旅の安全を祈願したという道真公を祀る、天満宮の本殿に場所を譲り、大将軍社は摂社として境内の北西に祀られています。

御祭神は3柱または4柱とされていますが、これらの神はいずれも久那斗神(岐の神、くなどのかみ)という道中安全などを司る神の別称、つまり、同じ神という見方もあります。

一夜にして7本の光る松が生えたという伝説もあり、パワースポットとしても人気となっています。

かつて菅原道真公が立ち寄った場所として、「菅原道真公御足跡」という石碑が設置されている。

神明社

  • 読み方:しんめいしゃ
  • 御祭神:
    天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
    豊受皇大神(おようけ(の)すめおおみかみ)
  • ご利益:国土平安 / 農業・漁業・諸産業守護、開運招福、災難厄除け など

境内の北西、大将軍社の隣にあるのが、神明社です。

御祭神は天照皇大神、豊受皇大神とされています。

天照皇大神(天照大神)は伊勢神宮・内宮の、豊受皇大神(豊受大神)は伊勢神宮・外宮の御祭神ということで、この神明社は「お伊勢さん」と呼ばれることも多いようです。

天照大神を祀る神社の多くは神明神社または神明社を名乗っているので、「お伊勢さま」こと天照大神は、「神明さま」とも呼ばれます。

社殿の様式は、伊勢神宮の正殿に代表される「神明造」と思われます。

なお、写真に写っているのは手前の門(あるいは拝殿代わりの建物)で、この奥に社殿が建っています。

蛭児遷殿

  • 読み方:えびすかんでん
  • 御祭神:蛭児大神(ひるこのおおかみ)
  • ご利益:商売繁盛、漁民・商家守護 など

境内北東部に位置する蛭児遷殿は、前述の「蛭子門」の名前の由来になった蛭子神社が移されたものです。

祭日は十日えびすの1月10日となっています。

御祭神は、普段は本社相殿に祀られていますが、十日戎祭のある1月10日には遷座されます。

蛭児大神はえびす(戎・恵比須)さまと同一視される福の神で、商売繁盛の他、漁民・商家の守護神とされています。

十二社

  • 読み方:じゅうにしゃ
  • 御祭神:
    備聖霊、早良親王、藤夫人、伊予親王、
    火雷神、火産霊神、埴山比売神、天吉葛神、
    川菜神、藤原廣満霊、橘逸勢霊、文太夫霊

十二社は、その名の通り、12柱の神々を祭神とする神社です。

それぞれの神々のために神坐があるため、横に長い社殿となっています。

この12柱の神々は、菅原道真と同様に、政争によって非業の死を遂げた方々と、その怒りを鎮める神々です。

例えば、早良親王(さわらしんのう)は奈良時代、公卿・藤原種継の暗殺事件に連座(連帯責任)して身分を廃され、無実の訴えを聞き入れられることなく亡くなりました。

その後に起こった皇族の病死や洪水などが早良親王の祟りとして恐れられたということで、菅原道真公の死後の状況に似ています。

伊予親王は桓武天皇の皇子ですが、反逆の首謀者という濡れ衣を着せられて幽閉され、毒を飲んで自害しました。


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霊符社と周辺(境内東奥)

霊符社

  • 読み方:れいふしゃ
  • 御祭神:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
  • ご利益:厄除け、長寿、病気治癒、開運招福 など

天之御中主神は宇宙を創造した神様で、神々が住まう高天原に最初に表れた神とされています。

「天」は宇宙、「御中」は中心、「主」は支配するという意味で、まさしく宇宙の中心であり、宇宙の象徴でもあります。

霊符社という社名は、御祭神が陰陽道では「太上神仙鎮宅霊符神(たじょうしんせんちんたくれいふしん)」と呼ばれることに由来しています。

祭日は節分の日で、例祭の時には、願主の延命長寿・鎮魂が祈願されるということです。

社殿は、白米稲荷社の前を通り、奥まで進んだところにあります。

ここには、霊符社と、以下でご紹介する4つのお社が並んで建っているのですが、霊符社のみ、瓦葺の拝殿が備わっており、宇宙と神々の元祖である御祭神を祀る神社として、特別な配慮がなされている様子が見て取れます。

なお、純粋な神社建築の屋根には、普通、瓦は用いませんので、こちらの拝殿は、寺院の建物を移築したか、神宮寺の名残か、そういった由緒のある建物かもしれません。

松尾社

  • 読み方:まつおしゃ
  • 御祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)
  • ご利益:諸産業繁栄、家系繁栄、厄除け・開運 など

霊符社の向かって左隣が松尾社です。

御祭神は、京都の松尾大社や、全国の日枝(日吉)神社に祀られる大山咋神です。

大山咋神は松尾大社では醸造(酒造り)の神としても信仰されていますが、元々は国土開発・農耕振興の神で、諸産業・家系の繁栄などにご利益があるとされています。

なお、その大山咋神がなぜこの場所に祀られるようになったのかは、よくわかっていません。

八幡社

  • 読み方:はちまんしゃ
  • 御祭神:応神天皇
  • ご利益:国家鎮護、殖産興業、家運隆盛、成功・勝利 など

松尾社の隣に鎮座するのが、こちらの八幡社です。

八幡社、八幡神社、八幡宮と言えば、御祭神は「八幡さま」こと応神天皇(誉田別命:ほんだわけのみこと)です。

優れた治世を行ったと言われる応神天皇は、もともとは国家鎮護などを司る神でしたが、平安時代末期以降、源氏の守護神とされたことから、勝利の神として篤く信仰されました。

現在はもう少し幅を広げて、成功、出世、教育など、幅広いご利益のある神として人気があります。

吉備社

  • 読み方:きびしゃ
  • 御祭神:吉備真備公(きびのまきび)
  • ご利益:学業成就 など

吉備社の御祭神である吉備真備公は奈良時代の学者で、遣唐使の一人でもありました。

大変優秀な人物でしたが、政治の実権を握った藤原仲麻呂と対立し、九州の筑前(現在の福岡県西部)、肥前(現在の佐賀県と長崎県の一部)への左遷を経験しました。

その後、再度遣唐使として唐に渡り、無事に帰国しますが、754年(天平勝宝6年)、大宰帥(だざいのそち)に任命されて再び九州へ下ります。

その後は御年70歳で帰京して藤原仲麻呂の乱を抑え、長年の政敵を倒し、中納言、大納言、最終的には右大臣まで昇進し、80歳で亡くなりました。

学者出身者で大臣まで昇進したのは、江戸時代以前ではこの吉備真備公と、大阪天満宮の御祭神である菅原道真公のみということで、学問を司る神として祀られているものと思われます。

なお、吉備社の手前には「針塚」があり、2月8日には吉備社御針祭が行われています。

これは趣味や仕事で裁縫をする人が針に感謝するお祭りで、神事の後、大きなこんにゃくに折れた針や古くなった針を刺します。

住吉社

  • 読み方:すみよししゃ
  • 御祭神:住吉三神(上筒之男命、中筒之男命、下筒之男命)
  • ご利益:海上安全、漁業・海運・貿易・造船などの海にまつわる産業守護、交通安全 など

吉備社の隣、大阪天満宮の本殿や白米稲荷社から見ると手前にあるのが、こちらの住吉社です。

並んで建っている他のお社とは違い、社殿の正面が西側を向いています。

住吉と聞けば同じ大阪市内にある住吉大社を思い浮かべる方が多いと思いますが、住吉大社の4棟の本殿(本宮)も、同じく西を向いています。

住吉三神は海を司る神なので、大阪湾の方に社殿を向けているのです。

蛭子門そばの摂末社

老松社紅梅殿・白太夫社

老松紅梅殿

  • 読み方:おいまつしゃこうばいでん
  • 御祭神:梅の霊(御愛樹之霊)

老松社紅梅殿と白太夫社は、蛭子門を入ってすぐ左側に並んで建っています。

向かって左の社殿が老松社紅梅殿、向かって右の唐破風付き屋根の社殿が白太夫社です。

石の柵で囲まれたエリアの、地面から一段高い所に建立されており、柵の手前からの参拝となります。

老松紅梅殿に祀られるのは、菅原道真公が愛した梅の霊とされています。

紅梅殿という社名ですが、菅原道真公が大宰府へ赴いた時に、京都の自邸から一夜にして飛んできたという「飛梅」が、紅梅なのか白梅なのかは、はっきりとはわかりません。

白太夫社

  • 読み方:しらだゆうしゃ
  • 御祭神:渡会春彦(わたらいはるひこ)

御祭神の渡会春彦とは伊勢神宮の神官で、菅原道真公の父・菅原是善卿が、跡継ぎの誕生祈願を委託した人物とされています。

その後誕生した2人の男児は幼くして亡くなり、三男として生まれたのが、道真公でした。
(道真公の幼少期についてはっきりしたことはわからず、2人の兄が小さい頃に亡くなったことは確かのようですが、道真公の誕生との前後関係は不明です。)

喜んだ是善卿は渡会春彦を道真公の養育係として京に招き、道真公が大宰府で亡くなるまで、側近として仕えました。

渡会春彦は若い頃から白髪がちだったため「白太夫」と呼ばれていたということで、この社名になっています。

老松神社

  • 読み方:おいまつじんじゃ
  • 御祭神:住吉大神、神功皇后
  • ご利益:
    海上安全、漁業・海運・貿易・造船などの海にまつわる産業守護、交通安全
    / 安産、勝利 など

昔、住吉大社を創建したと伝えられる神功皇后が九州の筑紫から船に乗って帰ってきた時に、大きな松に風や波から助けてもらったということで、松の木の下に祠を建てたのが、老松社の始まりと伝えられています。

その後、860年(貞観2年)に、当時「白砂青松」と呼ばれた場所(旧・老松町3丁目)に社殿が建立され、1990年(平成2年)6月、大阪天満宮に遷座されました。

御祭神は、住吉大神(住吉三神と同じ)と神功皇后ということで、住吉大社の4つの本宮にそれぞれ祀られる御祭神が合祀されています。

社殿も、朱塗りの柱に銅板葺屋根と、小さいながら住吉大社の本殿を思わせる姿で、境内の西、蛭子門のそばに祀られています。

祖霊社と周辺(境外)

祖霊社

  • 読み方:それいしゃ
  • 御祭神:大阪天満宮神官・神職、氏子・崇敬者の祖霊

祖霊とは、読んで字のごとく、先祖の御霊を祀る神社です。

大阪天満宮の祖霊社には、大阪天満宮に務めた人や、氏子や崇敬者が祀られています。

社殿は、道真公(没後)1080年を記念し、1982年(昭和57年)に建立されました。

境内は大阪天満宮の境内の外にあり、「星合(の)池(亀の池)」にかかる「星合橋」を渡り、左奥へ進んだところにあるのが社殿です。

存在感のある大きな唐破風が印象的なこの建物は、おそらく拝殿かと思われます。

向かって右側には、水の神であり、弁財天とも同一視される宇賀神を祀る「宇賀社」が建っています。

宇賀社

高坐招魂社

祖霊社の大きな拝殿の向かって左隣には、高坐(こうざ)招魂社と案内のある真新しい小社が鎮座しています。

こちらは、2017年(平成29年)に上方落語協会が建てたもので、戦後の上方落語界の復興に力を注いだ六代目笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく)、三代目桂米朝(かつらべいちょう)ら「上方落語四天王」を始め、1957年(昭和32年)の上方落語協会発足以来、第一線で活躍した上方の落語家たちの御霊を合祀する目的で創建されたということです。

高坐というのは、落語家や芸人が寄席などで芸を披露するためにある、一段高くなった舞台の名称「高座」から取っています。

社殿が背の高い基礎の上に建てられているのは、やはり高座のイメージなのでしょうか。

高坐招魂社が建つこの場所は、落語定席「天満天神繁昌亭」に近く、大阪の落語ファンにとっては馴染みの場所ですので、落語を見に行くついでに、参拝して行かれる方もいることでしょう。

祖霊社の鳥居。正面に見えるのは茶屋。鳥居脇には「高坐招魂社」の案内板。

ちなみにこちらの茶屋のうどんは、「すべらんうどん」といい、試験合格の縁起物として人気となっています。

「星合橋(愛嬌橋)」は縁結びのパワースポット。「願い玉」で運試し!

さて、祖霊社への参道ともなっている星合橋では、その昔、よくお見合いが行われていました。

そのため、別名「愛嬌橋」とも呼ばれ、ここで出会ったふたりは結ばれると言われる、縁結び・良縁のパワースポットとなっています。

星合池では、昔から神前に銭を巻く「撒銭」という銭のお供え方法(あるいはまじない)が行われていましたが、それにちなんで銭の形の「願い玉」が考案され、2017年より、この願い玉を投げて運試しをするコーナーが設けられ、人気となっています。

池には5色のお皿をつなげて梅の形に見立てたものが浮かんでいますが、これは「願い玉」を投げて願いが叶うかどうか占うための的です。

願い玉で願いが叶うかどうか占う方法

①願い玉を授かる
大阪天満宮の授与所か、祖霊社手前にある星合茶寮に置いてある願い玉から好きなものを3つ選んで授かる。

※初穂料(値段):3個500円
※授与所:9時~17時、複数の色の願い玉があります。
※茶屋:10時~15時30分、黒い願い玉のみ。

②願い玉を投げる
願い事を念じながら、池に浮かんでいる的をめがけて願い玉を投げる。

③結果を確認
願い事に応じた的(お皿)に願い玉が入れば、成就の兆しです!

的に乗った願い玉は、後日神前にお供えし、ご祈祷していただけるということです。

的の色と願意は以下の通りです。

  • 赤:良縁・恋愛
  • 黄:商売繁盛
  • 白:健康・病気平癒
  • 青:芸能・芸術・武術
  • 緑:学徳・合格
  • 金:満願成就 ※金色は梅の花の真ん中部分!最難関っ!

なお、願い玉は軽い木材のメンコのようなもので、巫女さんが1つ1つに焼き印を入れて作っています。

軽いので、思った通りの場所に投げ込むのはなかなか大変です。

ただ、的に乗らなくてもがっかりしないでください。

願い玉を投げる行為は、もともとは既にご紹介した「撒銭」にちなんでいますので、そもそもは投げる行為自体に意味があります。

どうぞ思いを込めて投げてみてください。

願い玉は、お守り代わりに持ち帰ってもかまいません。

大阪天満宮のその他の建物・史跡など

御神水舎

御神水舎は、表大門をくぐってすぐの右側にあります。

門をくぐって振り返ったところなので、見逃さないようにご注意ください。

こちらは、2018年(平成26年)に造立された新しい建物で、月に3日だけ開扉され、ご神水を味見することができます。

御神水舎の開扉日

  • 日程:毎月1日・10日・25日
  • 時間:9時~17時(大阪天満宮の拝観時間中は開扉)

江戸時代、大阪の人々は、川の水や井戸水を生活用水としていましたが、それは飲んでおいしいものではありませんでした。

そんな中、大阪天満宮の井戸水は、江戸時代には「大坂四カ所の清水」のうちの1つとされるほど、きれいでおいしく、評判を呼んでいました。

そこで、中之島の諸藩の蔵屋敷では、参勤交代で藩主が滞在する間だけは、大阪天満宮の水をわざわざ持ち帰って、飲み水として提供したそうです。

なお、現在は開扉していても、その場でいただけるだけで、持ち帰りは不可ということです。

大坂四カ所の清水:
千日前「千日寺之水」、道頓堀「秋田屋之水」、聚楽町「愛宕之水」、大阪天満宮「天神之水」

さざれ石

さざれ石は、2015年(平成27年)、岐阜県揖斐郡(いびぐん)のさざれ石採石地から奉納されました。

右手前には国歌が刻まれた奉納記念の石碑が建っています。

さざれ石とは本来は小石のことですが、君が代にあるように「巌(いわお:岩)」となった姿で神社や公園に置かれることが多くなっています。

岐阜県揖斐郡はさざれ石の採石地として有名で、さざれ石は岐阜県の天然記念物に指定されています。

さざれ石の隣には、日本とブリスベンの親善の石碑もあります。

なぜブリスベンかと言いますと、大阪天満宮では、(平成6年)の関西国際空港の開港を記念して、オーストラリアのブリスベン市で天神祭を開催したことで縁があるのです。

開催地となったブリスベン川畔サウスバンク公園にも、同じような石碑が設置されています。

手水舎

表大門を入ると、右手には立派な手水舎があります。

こちらで手口を清めてから、御祭神に参拝しましょう。

車宿

表大門を入ってすぐ、左手にあります。

通常は閉じられており、中を見ることはできません。

天満宮会館

婚礼神前挙式の会館です。授与所の隣にあります。

神楽殿から日本庭園を望んだところ。奥に見える大きな窓のある建物が天満宮会館。

神輿庫・鳳輦庫

いずれも、天神祭で渡御する神輿を納めておく建物です。

向かって右側の神輿庫には、鳳神輿(おおとりみこし)と玉神輿が収められています。

この2基の神輿は、陸渡御の際、行列の最後につきます。

向かって左側の鳳輦庫の「鳳輦(ほうれん)」とは、鳳凰の飾りが付いた神輿のことです。

この御鳳輦には、菅原道真公の御神霊をお乗せします。

2020年2月、修復工事中。

文華館(史料室)

境内の北西にありますが、関係者以外立ち入り禁止となっています。

御文庫・第二文庫

「御文庫(おぶんこ)」は境内の北西角の、関係者のみが入れるエリアにあります。

その名の通り、書籍を納めるための建物であり、2階建ての建物内部には背の高い書棚がぎっしりと並んでいます。

そこに納められているのは、江戸時代中期以降に大阪の出版元から奉納された和書・漢書、合わせてなんと約10万冊ということです!

ジャンルは様々ですが、大阪天満宮に関することや、優れた歌人でもあった御祭神にちなんだ連歌や短歌関連の書籍が特に多いそうで、書籍の他には、歌人・藤原定家筆と伝わる和歌の色紙など、書も納められています。

建物は1920年(大正9年)に改築された土蔵で、入り口の二重扉の外扉は表側を土と漆喰(しっくい)で覆うなど、火災への対策もしっかりされています。

第二文庫は、本殿裏から祖霊社の方へ抜ける参道の途中にあります。

こちらは、参拝者も見ることができます。

第二文庫

大阪天満宮へ奉納された書籍の中には、明治初期の儒学者・漢詩人である近藤南州(南洲)の蔵書が多数含まれています。

それにちなみ、第二文庫の前には、「南州近藤先生頌徳碑銘」という石碑が、門人たちによって設置されています。

大阪天満宮への書籍奉納の歴史

江戸時代中期の1730年(享保15年)、大阪の出版元の有志が集まり「天満宮御文庫講」が結成され、各出版元から、初摺り(はつずり)の書籍の奉納が定例化しました。

初摺り本の神社への奉納は、この3年前から住吉大社では始まっており、大阪天満宮で始まってからは、住吉大社は毎年春、大阪天満宮は毎年秋に、奉納と虫干しが行われることになりました。

出版元としては、御祭神への畏敬の念から書籍を「奉納する」という意味合いに加えて、火事で版木を失った時に、御文庫から書籍を借りて再販のための原本にする、という目的もありました。

住吉大社と大阪天満宮の御文庫講のメンバーはかなり重複しており、たとえどちらかの御文庫に火災などによる被害があっても、もう一方は確実に残るという、出版元の人々の計算があったようです。

その後、2つの講は合併し、「大阪書林御文庫講」と改称して、書籍の奉納と虫干しは1960年頃まで続いていましたが、やがて中断することになります。

しかし、1998年(平成10年)に大阪出版協会の会員有志が虫干しを復活させ、各社2、3冊ずつの書籍奉納も始まりました。

奉納・虫干しはやはり秋の天気の良い日に行われます。

1日で風通しができるのは収蔵されている書籍の10分の1ほどで、つまり、御文庫全体の虫干しにはおよそ10年かかるそうです。

休憩所

表大門から境内に入って、左手に進むとあるのが休憩所です。

普段は椅子が置かれ、休憩するスペースになっていますが、お正月や祭りの時期など人が多い時期には臨時の授与所になっていることもあります。


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大阪天満宮のへの最寄り駅とアクセス(行き方)

大阪天満宮の最寄り駅は、大阪市営地下鉄(大阪メトロ)の南森町駅と、JR東西線の大阪天満宮駅です。

どちらからでも大阪天満宮の北鳥居(北門)経由で本殿(拝殿前)まで、徒歩約5分です。

どうしても表大門から境内に入りたい場合は、境内の外側を回ると、北鳥居から徒歩2分程度で表大門に到着します。

なお、これら2つの駅は直結していて、乗り換える場合、外に出る必要はありません。

大阪メトロ・谷町線「南森町駅」

  • 4番(4Aまたは4B)出口から徒歩約4~5分 ※北鳥居を通って大阪天満宮本殿まで

JR東西線「大阪天満宮駅」

  • 7番出口から徒歩約2~3分 ※北鳥居を通って大阪天満宮本殿まで

大阪天満宮の駐車場

大阪天満宮の駐車場は、蛭子門を入った正面にあります。

蛭子門前の道は天神橋筋から入って一方通行です。

気を付けて走行・入庫・出庫してください。

大阪天満宮の参拝者用駐車場

  • 駐車場料金 無料
  • 営業時間 9:00~17:00
  • 収容台数 30台

なお、大阪天満宮の境内北側には、「大阪天満宮北パーキング」という民間の駐車場もあります。

大阪天満宮北パーキング

  • 駐車場料金
    8時~19時 30分300円、最大1,700円
    19時~8時 1時間200円、最大500円
  • 営業時間 24時間
  • 収容台数 15台

※天神祭の日などは特別料金となる場合があります※

大阪天満宮の問い合わせ先・拝観時間・入場料など

  • 所在地:〒530-0041大阪市北区天神橋2丁目1番8号
  • 電話:06-6353-0025
  • ホームページ:https://osakatemmangu.or.jp/
  • 拝観時間(開門時間):9時~17時 ※時間外は閉門します※
  • 入場料:無料

【補足】大阪天満宮の由来・歴史

大阪天満宮の創建

天満宮というのは、天神さまこと菅原道真公を祀る神社のことですが、大阪天満宮はもともとは「天満宮」ではありませんでした。

大阪天満宮の前身は、奈良時代の650年(白雉元年)に創建した大将軍社という神社でした。

大将軍社は、飛鳥時代、大化の改新が終わった後に孝徳天皇が建てた皇居「難波長柄豊崎宮(なにわのながらとよさきのみや)」の北西の守護神として鎮座しました。

以来、この地は「大将軍の森」と呼ばれ、後に天神さまを祀るようになってからは、「天神の森」とも呼ばれました。

現在の地名「南森町北森町」は、この「森」という呼称の名残です。

平安時代に天神さまを祀る

平安時代の901年(延喜元年)、京の都から大宰府に左遷された菅原道真公は、大宰府へ向かう途中に大将軍社へお参りし、旅の安全を祈願しました。

わずか2年後の903年(延喜3年)に道真公はなくなりますが、その後949年(天暦3年)、非常に不思議なことが起こります。

なんと、大将軍社の前に一晩で7本の松の木が生え、しかも毎晩、枝の先の方が光ったのです。

道真公の死後50年近く経っていましたが、平安京の内裏(だいり)にある清涼殿への落雷で多くの死傷者が出たり、醍醐天皇が崩御したりと、都では道真の祟りと恐れられる事件はまだ続いていました。

そこでこの不思議な松の話を聞きつけた村上天皇は、道真公ゆかりの当地に新たにお社を建てさせ、道真公(天神さま)を祭神として祀りました。

創建から約300年、ここに大阪天満宮が誕生し、それまでの大将軍社は場所をずらして「摂社」という扱いになりました。

ちなみに、天神信仰の中心地の1つでもある京都の北野天満宮(かつては北野神社)の創建は、大阪天満宮誕生の2年前、947年(天暦元年)でした。

江戸時代の焼失と再建

天神信仰の広がりと共に、天神さまを祀る霊験あらたかな神社として、また、地域の氏神さまとして、大阪天満宮は地域の人々から篤く篤く信仰され、守り継がれてきました。

江戸時代には、記録されているだけでも7回もの火災の被害にあい、特に1724年(享保9年)の享保の大火(妙知焼け)や1837年(天保8年)の大塩平八郎の乱では、全焼しています。

しかしその度に再建され、第二次世界大戦中、1945年(昭和20年)大阪大空襲の被害も運よく免れて、今に至っています。

大阪市内では、今宮戎神社など多くの神社・寺が空襲の被害にあい、その後鉄筋コンクリート造で再建されていますが、市内中心部に建つ大阪天満宮が燃えなかったのは、本当に奇跡的です。

公式ホームページには、「氏子の方々が焼ける自分の家を横目に見ながら「天神さんを焼いたらあかん」と守って下さったおかげ」とあり、周囲の住民の必死の努力によって守られたということのようです。

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