日本初の油は住吉大社からだった!?住吉大社と油の深い関係性

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日本初の油は住吉大社からだった!?住吉大社と油の深い関係性

住吉大社から大阪湾まで行くには車でどんなに急いでも10分はかかりますが、昔は徒歩で5~6分ぐらいの距離を歩けば海に辿り着くことができました。

古墳時代から明治時代まで、住吉大社の前には海が広がっており、海外の輸出入品や国内の商品を取り扱う一大物流拠点でした。

さらに住吉は遣隋使である小野妹子が出向した場所としても知られ、政治的な意味においても重要な場所です。

国内外の政治の中枢を担っていた住吉大社あたりを照らす明かりを生み出していたのが、遠里小野村(おりおのむら)油でした。

遠里小野村があった場所は、現在の南海高野線我孫子駅周辺と大和川を挟んで堺市堺区周辺です。

油と住吉大社との関係性は、油の歴史そのものでした。

住吉大社と明かりと油の歴史

人類最初の発明とされる「火」が登場したことにより、人は「明かり」を手に入れることができました。

火は暖をとり防虫防獣にも絶大な効果を発揮し、生きていく上でなくてはならないものとなったのです。

そして後に「油」が登場し、火はより身近なものとなりました。

旧約聖書時代に既に存在していた油

旧約聖書時代には既に油は存在しており、イエス・キリストを神の子として選ぶ際に使われたのが油(オリーブオイル)とされています。

また古代エジプト時代では、ミイラを保存するために油が用いられたそうです。

日本に油が来たのは縄文時代の頃で、中国か朝鮮半島から伝わったと思われます。

農業そのものは縄文時代から既に行われており、主に西日本付近でゴマが栽培されていました。

当時のゴマは大変貴重なもので、「不老長寿の薬」としてもてはやされていました。

ゴマには免疫力向上やアンチエイジングに効果があるとされているので、「不老長寿の薬」というのは大げさな話ではないでしょう。

ゴマは食用や明かりを灯す用として使われてきましたが、当時使っていたのはセレブのみで、一般庶民には手が届かない物でした。

一般庶民は松の根や幹を燃やして、明かり代わりとして使っていたのです。

日本初の搾油は住吉大社

木の実から搾油された油が実用化されたのは211年(神功皇后摂政21年)で、卑弥呼が歴史に登場する30年前のことでした。

場所は現在の南海高野線我孫子駅周辺の遠里小野村にて、「ハシバミ」という背の低い木から採取された実から油を採るようになりました。

遠里小野で採れたハシバミの油は住吉大社へと献上され、神事の際の灯火として使われたのです。

なお電気そのものは紀元前から存在していたものの、実用化されたのは19世紀(遠里小野村でハシバミ油が搾油されてから1680年後)になってからです。

また石油そのものは紀元前から存在していましたが、明かりとして使われるようになったのは、1855年のことです。

221年当時は明かりを灯す燃料になるのがほとんどなかったため、ハシバミ油は大変貴重なものになりました。

大山崎のエゴマ油の登場

後に大山崎(現在の京都府乙訓群大山崎町付近)で、ハシバミ油よりも品質が高いエゴマ油が生産されるようになります。

大山崎は関西物流拠点の1つとして知られており、京都へと行くための玄関口、今で言うところのJR京都駅のような賑わいとなっていました。

大山崎で搾油を行ったのが大山崎八幡宮で、当時の宮司が長木(ちょうぎ)を使ってエゴマから油を採取し、採取された油は朝廷にも献上されました。

長木(ちょうぎ)とは種や実を2本の長い木で押し込み油を抽出する道具のことで、ハシバミよりも大量の油が採れるようになりました。

大山崎の油が広まったことにより、遠里小野村産ハシバミ油は見向きもされなくなったのです。

菜種油で起死回生

引用:国会国立図書館デジタルコレクション

そこで遠里小野村が目をつけたのが菜種油で、搾油に必要な道具「しめ木」を新たに開発しました。

しめ木は種や果実を押しつぶして油を搾り取る機械のことで、現在も「圧縮法」として応用されています。

菜種油は遠里小野村総動員で生産され、大山崎のエゴマ油を追い抜くことができました。

遠里小野村が油で潤ったのは、幕府の後押しもあったからでしょう。

幕府は油の流通に制限をかけて、菜種油は大阪の業者のみしか生産することはできませんでした。

生産された油は油問屋へと集められ江戸へと渡り、米の10倍の価格で販売されており、庶民には手の届かない高級品だったのです。

遠里小野の現在

現在の遠里小野は住宅地となっており、菜の花畑どころか畑だった面影すらも残っていません。

地元に長年住んでいる人ですら、「菜の花畑が広がっていた」という事実はあまり知られていないのが現状です。

菜の花畑が消えた理由はハッキリしないものの、急速過ぎる都市開発が原因でしょう。

大阪は、明治に入ると近代化を目指すべく道路や市街地整備に躍起になっていました。

住吉付近も例外ではなく、日本初の私鉄である南海電鉄開通など、急ピッチで進められました。

だから遠里小野も都市開発の波がどっと押し寄せていても、不思議ではないでしょう。

しかし都市開発が進んでも、遠里小野はかつて菜種油の産地だったのは揺るぎようがない事実です。

そこで立ち上げられたのが「菜の花を咲かそう会」で、一度は途絶えた油作りに取り組む活動を行っています。

会の活動は、イベントでの油搾り体験や菜種油の配布、そして「すみ博」では菜種油を使い、住吉大社にある石灯籠に明かりを灯す活動も行っています。

「すみ博」とは
  • 開催日程:毎年10月中旬~11月初旬
  • 主催者:すみよし博覧会実行委員会/住吉区役所
  • イベント内容:住吉大社石灯篭への灯火/大阪にゆかりのあるアーティストのライブ等

すみ博とは「すみよし博覧会」の略で、歴史ある住吉区の魅力を発信するために開催されるイベントです。

2019年に開催されたすみ博では皿回し体験や縁日、そして反橋(太鼓橋)周辺にある石灯籠200基へ献灯もされ、幻想的な風景を作り出しました。

菜種油が住吉大社の石灯籠に検討されたのは2014年からで、以降毎年すみ博にて石灯籠への献灯がおこなわれています。


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住吉周辺にある油に関するスポット

遠里小野は住宅街になっており油どころか畑すら存在していませんが、住吉全体を見渡すと油に関係しているスポットが、2ヶ所あります。

住吉大社から近い場所にあるので、お参りついでに訪れてみてはいかがでしょうか。

浄光寺油かけ地蔵

油に関するスポットの中で面白いのが「油掛け地蔵」で、お地蔵様に油をかけてお祈りするというものです。

なお現在は油掛け地蔵に油を掛けることはできませんが、お参りなら可能です。

住吉大社周辺は神社だけでなく寺も数多くあり、江戸時代までは神仏混合(神社と寺が一緒になっていた状態)都市でもありました。

しかし明治に入ると「神社と寺は別」として分けられるようになり、住吉大社境内にあった住吉神宮寺は廃寺となったのです。

神社と寺は別々になったものの、現在も神仏混合時代の名残として、寺や石造りの仏像や地蔵が現在も残されています。

有名な所で言えば、住吉大社北東にある東粉浜六堂辻の閻魔地蔵と、南海住吉東駅近くにある宝泉寺の住吉の十三仏でしょう。

そして住吉大社から見て東側、遠里小野から見て北側にあるのが、油かけ地蔵がある浄光寺です。

油の産地は遠里小野だけでなく、長居や南住吉でも栽培されていました。

地蔵に油をかけると商売繁盛のご利益があると伝えられているので、遠里小野村で菜種油を生産していた人達も足繁く通っていたかもしれません。

浄光寺が開山したのは1558年頃と言われており、当時は東長居にあった地蔵を運んで、住吉の地に祀ったそうです。

江戸時代末期頃になると住吉に疫病が流行り、手の施しようがない状態になりました。

そんな中、信心深いある老婆は何としてでも我が子の疫病を治すために浄光寺の地蔵にお願いをします。

後日、どことからともなく香りが漂った時に、「わたしの身に油を注げば、苦しみから救ってあげます」と地蔵からお告げをもらいました。

老婆はお告げ通りに浄光寺の地蔵の元へ訪れると、地蔵は3つに割れて倒れていました。

そこで、割れていた地蔵を元の場所へ戻し油をかけてお参りすると、子供の病気が治ったそうです。

浄光寺
  • 所在地:大阪府大阪市住吉区上住吉1-9-29
  • 電話:06-6671-6760
太田家土蔵とすみよし村ギャラリー

南海住吉東駅近くにあるのが太田家土蔵で、現存する土蔵の中で日本最古の蔵です。

土蔵は住吉村村長であった太田家所有の蔵で、蔵のすぐ近くには大邸宅を構えていました。

土蔵で保管されていたのは油で、太田家は油屋として大成功を収めました。

村長が住んでいた住宅は「すみよし村ぎゃらりー」として名前を変え、住吉に関する資料や当時の油屋の状況が展示されていました。

すみよし村ぎゃらりーは太田家土蔵の真向かいに位置していましたが、現在は影も形もなくなり、更地状態になっています。(2019年12月時点)

2018年(平成30年)に大阪を襲った台風21号の影響により、すみよし村ギャラリーも大変な被害に遭っていたそうなので、取り壊されたのかもしれません。

  • 太田家土蔵の所在地:大阪府大阪市住吉区住吉1丁目10-13
  • 元すみよし村ぎゃらりーの所在地:大阪府大阪市住吉区住吉1丁目9-16

現在でも遠里小野の油は入手できる?

現在でもお土産という形で遠里小野の油が入手できるかと問われると、正直かなり難しいです。

遠里小野には数多くの工場が建ち並んでいるものの、油を精算している工場は1軒も見当たりません。

あるのは廃棄物工場や金属加工工場などで、油屋の「あ」の文字もない状態です。

ただ遠里小野産ではありませんが、「ヘーゼルナッツオイル」ならネット通販で購入可能で、ネットレビューは高評価となっています。

また「菜の花を咲かそう会」では小学校の授業や子供会の集まりなどで、油搾り体験を行っています。

搾った油は誰でも貰えるというものではないものの、会の活動がもっと活発になれば、将来的には住吉に「油屋」が復活するかもしれません。

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