【日本最古の灯台】住吉高燈籠の見どころ(特徴)や歴史を….虫歯ずきズキしながら知るつもり?

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住吉大社からもほど近い、住吉公園の西側には、大きな燈籠(常夜灯)が建っています。

住吉高燈籠と呼ばれるこの燈籠は、鎌倉時代にルーツを持つ、日本最古の灯台と言われています。

海辺にあるはずの灯台が、なぜ大阪湾から離れた公園の脇にあるのでしょうか。

現在は、どのように利用されているのでしょうか。

コチラのページでは、「住吉高燈籠」の特徴や歴史、見どころ、そしてアクセス情報などについて、ご紹介します!




住吉高燈籠の特徴

日本最古の灯台は、遣唐使を導くための篝火と言われていますが、現在は姿を見ることはできません。

姿を見ることができる灯台の中で日本最古となるのが住吉高燈籠で、現在は国道26号線、住吉公園前に悠然と建っています。

足元には、「常夜灯」の文字が見えます。

造立年

  • 不明

鎌倉時代に造立されたと言われていますが、具体的な年月はハッキリしていません。

復元再建年

  • 1974年(昭和49年)

※大阪を襲ったジェーン台風により倒壊しましたが、市民の要望により復元となりました。

造り・素材

  • 鎌倉時代~昭和:木製
  • 昭和~現在:鉄筋コンクリート造
高さ

  • 21m

※住吉高燈籠が設立された当時は16mの高さでした。

住吉高燈籠の内部(史料館)一般公開

現在の住吉高燈籠(常夜灯)は1974年(昭和49年)に復元という形で建設されましたが、史料館は2005年に内部を改装した形でつくられました。

一般公開日時

  • 第1・3日曜日:10:00~15:00
  • 第2・4日曜日:10:00~13:00
史料館入館料

  • 無料

展示内容

住吉燈籠の歴史が写真パネルで展示されています。

またジオラマや昔の住吉高燈籠に使われていた石土台や、屋根に飾られていた飾りも見ることができます。

展望台へ上がることもできるものの、見えるのは団地や雑居ビルで「絶景」とは言えませんが、貴重な体験となるでしょう。

住吉高燈籠の史料館に関するINFO

公益財団法人 住吉名勝保存会 高燈籠愛護会




住吉高燈籠のライトアップ情報

かつて常夜灯として港を照らしていた高燈籠が、今度は照らされる番となりました。

昼間でも一際目立つ住吉高燈籠ですが、夜になるとライトアップされて更に目立つ存在となります。

住吉付近は燈籠が数多くあるものの、夜にライトアップされている燈籠は、住吉高燈籠のみです。

ライトアップは今何かと流行りの3Dマッピング仕様ではなく、住吉高燈籠の下をライトで照らすような形になります。

ライトアップ日時

  • 日没後~22時頃まで。

住吉高燈籠の歴史(由来)

住吉高燈籠(常夜灯)の歴史を紐解くと、大阪が「商人の町」と言われる理由がハッキリします。

住吉高燈籠があったからこそ大阪は発展を遂げ、西日本随一の都市になったと言っても過言ではありません。

では住吉高燈籠はどういった歴史があるのか、設立されたとされている鎌倉時代から順を追って紹介します。

鎌倉時代

鎌倉時代よりも前から住吉は港町として栄えており、日本全国の物資だけでなく、当時としては珍しい海外からの輸入品も入ってきました。

世界の最新トレンドを手にするのに住吉ほどうってつけの場所はなく、商人達は商売の拠点として住吉の港を利用していたのです。

鎌倉時代に入ると地理的な問題があり港町としての地位は落ち込んでしまったものの、「最新トレンド情報が集まる場所」でなくなった訳ではありません。

陸路だけでなく海路の拠点として使える場所であったため、商人を始めとする多くの人達が行き交う場所となっていました。

しかし当時はGPSどころか衛星すらない時代で、物資を運ぶ船人だけでなく、地元漁民達の安全が保証できなかったのは想像がつきます。

GPSは衛星があって初めて機能するものなので(設置順は衛星→GPS)、「GPSどころか衛星すらない」の方が正確なように思います。

そこで鎌倉時代末期に住吉浦に住まう漁民達の手によって木造造りで建てられたのが、住吉高燈籠でした。

当時、住吉高燈籠が建てられた場所は十三間堀川(現在の阪神高速線高架付近)で、現在は民家が建っています。

現在、住吉高燈籠がそびえ立っている国道26号線沿いから、200m西の位置に建てられました。

住吉浦は現在の粉浜から住吉公園付近で、海が近かったことから漁業が発達していたことが安易に想像がつきます。

住吉高燈籠によって救われた命は数多かったようで、「方角がわからなくなった時に住吉に祈ると道を示してくれる」という言い伝えも残されています。

江戸時代

画像引用:大阪府立中之島図書館大阪eコレクション

江戸時代に入ると大阪商人達は、江戸を始めとする日本全国に商売の手を広げるようになりました。

江戸時代にインターネットはあるはずもありませんが、大阪商人達は独自のネットワークを用いて商売をし、江戸とは違う形で発展を遂げます。

大阪商人の商売を支えたものこそが、海路です。

廻船という船を用いて物資を運んでいた廻船問屋の船が、川や海でみかけられるようになりました。

廻船問屋が行き交っていた場所で最も人気があった場所こそが、住吉高燈籠付近で、商売人だけでなく一般の人も足繁く通っていたそうです。

画像引用:大阪市立図書館デジタルアーカイブ

1796年(寛政8年)に刊行された「摂津名所図会」では、住吉高燈籠に集まる人々の様子が描かれています。

付近には茶店が軒を連ね、潮干狩りに勤しんでいる人の姿も描かれていました。

1801年(享和元年)、江戸時代の文人大田南畝(なんぼ)の紀行文「芦の若葉」には、住吉高燈籠に登ったことが記されています。

1827年(文政10年)に入ると住吉高燈籠は一度再建されますが、再建された後にも絶景ポイントとして広く親しまれました。

1853年(嘉永6年)から制作された歌川広重の「六十余州名所図会」では、「おすすめの絶景ポイント」として住吉高燈籠が取り上げられています。

江戸末期に発行された「大阪繁盛期」にも、住吉高燈籠は絶景ポイントとして紹介されています。

現在は見ることができませんが、当時は徳島や淡路島まで見ることが出来ていたそうです。




江戸時代~明治

明治時代の住吉高燈籠について語りたい所ですが、江戸時代後期に行われた埋め立て工事について触れなければ、話は進みません。

江戸時代は元より奈良時代の頃から、大和川は度々洪水が起き、付近の農民達の頭痛の種になっていました。

そこで幕府は大和川の付替工事に取り組むと同時に、住吉から西方面に新田開発に取り組むことになりました。

新田開発が進むにつれて農業は発達したものの、海は住吉高燈籠から次第に遠のいていきます。

当然ながら燈籠としての役割を果たすことができなくなり、「史跡」という形で保存されることになりました。

画像引用:大阪市立図書館デジタルアーカイプ

しかし大正時代までは絶景ポイントとして知られていたようで、大正時代に刊行された「大阪府全志」にも住吉高燈籠から見る絶景について書かれていました。

昭和~平成・令和へ

幾度ともなく大阪を襲った空襲を耐え抜いた住吉高燈籠でしたが、自然の前ではもろくも崩れ去ってしまいます。

戦災から復興を目指していた矢先の昭和25年、最低気圧最低気圧940hPa、最大風速50m/sの超大型台風ジェーン台風が大阪を直撃しました。

画像引用:大阪市立図書館デジタルアーカイプ

当時は現在のように防災設備が整っていなかったとは言え、特に被害が大きかった南港地区だけでも12名の死者(ジェーン台風による死者は398名)に及びました。

台風の被害により住吉高燈籠の上部が大きく破損したため解体し、基礎となる石台のみが取り残される形となりました。

住吉高燈籠は大阪商人のルーツを物語るだけでなく、住吉付近の住民にとっての誇りでもあるので、再建復元の声は強いものになります。

そこで1974年(昭和49年)に財団法人住吉名勝保存会が設立され、最初の事業として住吉高燈籠の復元が行われました。

今はなき住吉高燈籠を復元するには9,000万円という莫大なコストがかかるものの、内7,000万円は寄付金で賄われました。

復元の際に、住吉高燈籠はかつて海を照らしていた場所よりも東へ200m、現在の国道26号線に移されました。

新しく完成した住吉高燈籠は建設された当時と同じく木造ではなく鉄筋コンクリート製ですが、姿形は舟人に道を示していた頃とほとんど変わりありません。

そして令和になった現在では、史料館として住吉高燈籠の歴史を伝えるだけでなく、住吉高燈籠付近を行き交う人々を優しく見守っています。

住吉公園の歴史に関しては、当サイト創立150周年!住吉公園が歩んできた現在までの歴史で詳しくご紹介していますので、ぜひあわせてご一読ください!

住吉高燈籠場所とアクセス(行き方)

住吉高燈籠(常夜灯)は、大阪・梅田・難波から見るとほぼ真南の、国道26号線沿いにあります。

難波方面から向かう場合は、国道26号線を南方向へ進み、粉浜3丁目南交差点から300m先に住吉高燈籠があります。

和歌山方面から向かう場合は、国道26号線を北方向へと進み、浜口北交差点から350m先に住吉高燈籠があります。

住吉公園と住吉高燈籠の場所(位置関係)

住吉公園の公園事務所から徒歩3分前後西方向へ歩けば、住吉高燈籠です。

住吉高燈籠は住吉公園の目と鼻の先にあるので、住吉公園にある石田畳の道(汐掛けの道)から直接目で確認することができるほどです。

住吉公園を西に出て、国道26号線に出れば目と鼻の先にあります。

住吉公園の見どころや楽しみ方、施設の利用方法などについては、当サイト花火・バーベキュー・花火可能!見どころ多数!住吉公園(大阪)の楽しみ方大公開!でご紹介しています。




電車で住吉高燈籠へのアクセス(行き方)

電車で住吉高燈籠へ行くには、南海本線・阪堺電車・大阪メトロの3つの方法があります。

大阪メトロから行くと少し距離があるものの、南海本線や阪堺電車から来る場合は、どんなにゆっくり歩いても10分もかからないでしょう。

南海本線住吉大社駅から徒歩でのアクセス

南海本線住吉大社駅から西へ徒歩5分で、駅を下りて住吉公園を抜ければ住吉高燈籠にたどり着きます。

阪堺電車阪堺線住吉鳥居駅から徒歩でのアクセス

阪堺電車阪堺線住吉鳥居駅から住吉高燈籠までは、徒歩およそ5分かかります。

駅を下りたら西方向へ歩くと、住吉公園にたどり着きます。

住吉公園を西方向へ突き抜けて国道26号線に出れば、目と鼻の先にあるのが住吉高燈籠です。

大阪メトロ四つ橋線玉出駅からのアクセス

大阪メトロ四つ橋線玉出駅3番出口を出ると、国道26号線沿いに出ます。

北方向へ徒歩15分ほど歩くと住吉高燈籠に到着します。

なお玉出駅からはバスも通っており、バスで住吉高燈籠へ行くことも可能です。

バスで住吉高燈籠へのアクセス(行き方)

住之江公園から住吉高燈籠へ向かう場合は、3系統出戸バスターミナル行・15系統南港南6丁目行・25系統住吉車庫行のいずれかのバスに乗ります。

住吉公園まで短距離で到着するのは、15系統南港南6丁目行ですが、他のバスに乗っても到着までの時間はほとんど同じです。

15系統南港南6丁目行のバスで住吉高燈籠へ向かう場合、大阪メトロ四つ橋線住之江公園駅東側にあるバス停から乗車することになります。

 

そして「住吉公園」停留所に降りて目と鼻の先にあるのが、住吉高燈籠です。

近づいたらバスの中からでも、高燈籠の姿を見ることはできる筈です。

住吉大社から住吉高燈籠へのアクセス(行き方)

住吉大社の反橋から住吉高燈籠までは、徒歩9分ほどです。

住吉大社反橋手前の正面鳥居から西方向へ進み、阪堺電車阪堺線の線路を横断します。

地面には線路が走っているので、途中で躓かないように気をつけて下さい。

阪堺電車の線路を横断し、まっすぐ西方向へ進むと、南海電車の高架下にたどり着きます。

高架下を更に西方向へ進めば住吉公園です。

住吉公園にある石畳の道(汐掛けの道)を西へ進み国道26号線に出れば、住吉高燈籠へとたどり着きます。

住吉高燈籠のINFO

住吉公園
大阪市
住之江区

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